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取次

取次(とりつぎ)とは、教祖・生神金光大神(いきがみこんこうだいじん)によって始められた、参拝者の願いを神様に届け、神様の願いを参拝者に伝えて、神様と人が共に助かる生き方を求めていく、金光教の信仰活動の中心です。

教祖様は、安政6(1859)年、天地金乃神(てんちかねのかみ)からの頼みを受けられ、農業をやめ、明治16年(1883)に死去するまでの24年間、人の願いを神様に祈り、神様の願いを人に伝える取次(とりつぎ)に、自宅の広前(参拝者の参り場所)で専念しました。

人々の願い、悩み、苦しみを聴き取って神様に祈り、一人ひとりに神様と人間との関わりを教え、信心で助かる道を諭されました。この取次(とりつぎ)は、現在まで1日として絶えることなく受け継がれてきています。

目次

取次(とりつぎ)を願うとは

まずはあなたのお話しを聞かせてください

人は生きていく上で、さまざまな問題に出合います。そのような時は、悩みや苦しみ、願っていることを取次者に聴いていただきましょう。取次者は教祖様の手代わりとして聴き、神様に祈り、届けてくださいます。

そして、問題や状況に応じて、教祖様の教えを基に、神様の願いに沿うあり方や、助かる道筋を教えてくださり、すでに神様のおかげの中にあることを分かりやすく教えてくださいます。
取次者が話したことで、納得がいかないこと、分からないことも遠慮なくお尋ねください。

一方、うれしかったこと、ありがたかったことを話し、御礼の心で取次を願うこともあります。また、金光教の信心や教えとはどういうものか、何を大切に生きていくかなど、どんなことでもお尋ねください。

本部広前会堂での取次の様子を撮影した写真。 取次をする教主と、取次をいただいている参拝者が映り、その奥には、神をまつるご神前が映っている。

神様の願いとは

神様の願いとは私たち人間が助かり立ちゆくことです。取次では、助かるために今自分がどう在るべきなのか、どうするべきなのかを教えてくださいます。

しかし、時には自分で神様に向かい、助かる道を見つけないといけないこともあります。そんな時も、取次を頂ける場があるからこそ、ヒントを頂きながら歩むこともできるのです。

自分の思いや歩んでいる道筋に間違いはないか、神様の願う在り方になっているかどうかを、取次を願いながら絶えず見つめ直していくことが助かりへの道筋なのです。

取次を頂くには

条件はありません

  • 取次を願うために金銭は不要です。
  • 年齢や性別、信仰などに関係なくどなたでも取次を願えます。

内容が外部に漏れることはありません

取次者には守秘義務があり、取次の場で話したことが外部に漏れることはありません。
ただし、取次者から講話などで、おかげを頂かれた内容を話したいとお願いされる場合もあるかもしれません。その場合も個人の任意ですので、嫌な場合は断られて結構です。

本部または各地の教会にご参拝ください

取次は、金光教本部(岡山県浅口市金光町)を中心に、全国約1400カ所ある教会の広前で、日夜行われており、どなたでも取次を願うことができます。お気軽にご参拝ください。

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