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宗教法人「金光教」
金光教本部教庁
〒719-0111 岡山県浅口市金光町大谷320
TEL 0865-42-3111(代表)
FAX 0865-42-4419
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これはラジオ放送「金光教の時間」で放送されたものです。
(案内役) 今日は、大阪市、金光教靱(うつぼ)教会の、鍵山道隆(かぎやまみちたか)さんのお話をお聞きいただきます。お子さんが不登校になった時の体験です。題して、「未来につながる経験」。
(本文)四年前の一月、当時中学一年生だった長男が、急に学校に行かなくなりました。前日は、友達と繁華街へ遊びに行っていたにもかかわらず、突然のことでした。学校へ行かない理由を尋ねても、「教室がうるさい」とか、「みんなに会うのが嫌」、「たくさんの人がいるところに行けない」など。聞くたびに変わり、本当のところはなぜなのか、よくわかりませんでした。
通学しなくなって数日は、朝から学校へ通わすために説得を試みたり、部屋から引きずり出そうとするのですが、余計に頑なになり、部屋に鍵をかけ、扉の内側に本棚や家具などでバリケードを築き、一日中部屋に閉じこもり、ご飯も食べない日が続くようになりました。
学校へ行かない理由が分からないので、嫌なことから逃げようとしているのではないか、自分の好き勝手にしたいのではないかと思ったり、何か嫌なことがあってつらい思いをしているのではないかと考えたり。または、子育てが間違っていたのではと自分を責める思いにもなっていきました。日にちが経つにつれて、中学校にこのまま通わず、高校にもいけなかったら将来どうなるのかという漠然とした不安な思いが、私の気持ちを焦らせていきました。
しかしそんな中でも、神様が、親である私に対して、信心するように促してくださっておられるのではないかと感じられました。人生において、身の上に起こることは、決して無駄事はないと自分の思いを変えて、毎日神様に子どもが学校に通えますように、またこの経験が今後、大切な宝物となりますようにと、お祈りしていました。
その祈りの中で思ったのは、こうして信心のご縁をいただいて、神様に心を向けさせていただく事ができるのが有難いなあ。子どもがいてくれるから、こうした心配や経験ができるのだなあ。これまで、ご飯を食べるのが当たり前、学校へ行くのが当たり前と思っていたことが、初めて当たり前でなかったことに気づき、これからは一つ一つ出来たことを喜び、お礼を申していく生き方にならせていただこう。何事も喜んで、お礼を申していこう。そういう心持ちにならせていただきました。
学校に通わなくなってから、三週間程経ったころ、長男と話し合いました。食事は、規則正しく食べる、家族全員の行事には必ず参加するなど、ルールを守れば学校に通わなくても、家で何をしていてもよいこととして、しばらくは様子を見ることにしました。長男も決まりを作ってからは、安心して引きこもれるので、そのルールを守ろうと朝もキチンと起きるようになっていきました。
結局、長男は中学一年の途中から中学二年の一学期の間も全く学校に行くことはありませんでした。しかし、二学期から通いたい気持ちが芽生えたのか、週一回一時間だけ教室以外の別室なら登校できるようになっていきました。親としては、学校に行ってくれるとホッと胸をなでおろし、それだけでも本当にうれしい気持ちでいっぱいでした。
中学三年生の新学期が始まり、友達が迎えに来てくれたこともあってか、急に学校に通えるようになり、教室にも入れるようになりました。たまに休んだり、遅刻したりすることもありましたが、長男は、通わなかったらまた行けなくなるのではないかという危機感からか、続けて休むことは無くなりました。
長男は今でも、通学できなくなった理由はわからないと言います。ただ、通学できなかった時に発行された文集を読んで、こう話してくれました。
「文集には、いろんな一年間の行事の感想が書かれていて、その行事に参加できなかったことはすごく寂しく感じた。また中学二年で友達になれるはずだった人と出会えなかったこともすごく残念に思った。でもこの経験をしたことで、これからはたくさんの人と話がしたいし、人との出会いを大切にしたいと思う気持ちになった。」と話していました。
今では、高校に入学し、一日も欠席することなく通学しており、大学受験に向けて勉強に取り組んでいます。
これまでの学校に通えなかった経験は、長男のこれからの人生にとって大切なことを神様から気づかせてくださったように思っています
(案内役)いかがでしたか。
不登校は悪いことではないんだから、責めてはいけない、無理強いしてもいけないということをよく聞きますが、実際の場面で、親として適切な行動ができるかどうか。これは本当に難しいだろうと思いますね。鍵山さんも最初は戸惑ったと正直に話しておられます。でも、神様のお心を尋ねるような祈りの中から、自分が改まらねばという思いが生まれ、さらに、この子がいてくれればこそとお礼を言う心持ちにまでなったという。これは神様を信じる心があってこそ、できたことではないでしょうか。信心には、あらゆる経験を未来にしっかり繋いでくれる心強い働きがあるということを、このお話は教えてくれています。
これはラジオ放送「金光教の時間」で放送されたものです。webサイト「こころで聴くおはなし」では他にもたくさんのお話を掲載しており、音声も公開しています。ぜひご訪問ください。