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宗教法人「金光教」
金光教本部教庁
〒719-0111 岡山県浅口市金光町大谷320
TEL 0865-42-3111(代表)
FAX 0865-42-4419
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このページではよく寄せられるご質問にお答えします。
金光教では、「天地金乃神」「生神金光大神」を信奉しています。
天地金乃神は、広大な天地のあらゆるものを生かし育む神様です。私達と離れてあるのではなく、私達の助かりをどこまでも願い、一人ひとりを神のいとし子として、愛してくださる神様です。
生神金光大神は、教祖様が神様から与えられた名前(神号)です。
教祖・生神金光大神は「明るい光の方へは誰でも寄ってくる。金光とは、世界中に天地金乃神の光を光らせて、おかげ(神様のお働き、お恵み)を受けさせるということである」と話されています。
神様の光で輝く世界、神様の慈しみが満ち溢れた世界がイメージされます。
また、天地金乃神が教祖様に与えられた名前(ご神号)が「生神金光大神」であったことにも由来します。
この書附は、天地金乃神の命により、教祖様が参拝者に授けたもので、
「これは心の守りであり、信心を日々忘れないための書き付けとして、よく見えるところに掲げるように」
と教えられました。
金光教本部をはじめ各教会や、信奉者の家庭などに、天地書附が掲げられています。
天地金乃神は、戒律を守らなければ助けないという神様ではなく、天地の間に住む私たちが、人間らしく幸せに生きるための力を与えてくださり、守り導いてくださる神様です。
教祖・生神金光大神は、神様と人間との間柄や、神様の子としての人間の本来の生き方を教え説かれています。教えによって人を縛ったり、裁いたり、強制したりすることはありません。
また、修行について、「生きている間は修行中」と教えられています。
その修行は、火や水の行、断食・断眠、山ごもりといったものではなく、生活の中で起きてくること一切を修行と受け止める「心行」が大切と諭されています。
例えば、思いがけない出来事や不都合なこと、不安や心配はつきものですが、そのような心を神様に向け、願い預けていく心行や、どういう状況であっても神様のお働きに気付く心を育ませていただく、そのような行を求めてまいりたいものです。
金光教は、他宗を悪く言ったり、非難することなく、違いを認めて尊重する精神を大事にしています。
どの神仏も粗末にせず、それぞれが一生懸命に願っていく「一心」が大切であると説いています。
一方で、これまでの社会情勢を見てみると、宗教の名を借りて利益のために人をだましたり、人を傷つける集団、組織も現れてきました。
このような問題性を見抜き、「真の助かり」という視点を持つことも大事なことです。
人の死も、生まれること、生きることと同じく、天地の間で起き、神様のお働きの中で起きることであり、
「生きている間も死んだ後も天と地はわが住みかである」
と教えられています。死後、まったく別の世界に行くということではありません。
いたずらに死を恐れ、心配するのではなく、日々安心して、神様から頂いた今をありがたく生きることの大事さを教えられています。
さらに、死後、肉体が失くなった後も、神様のもとでみたま様としてのはたらきが生まれます。
また一方で、生きている間はご先祖様などのみたま様を敬い、まつることの大切さを教えられています。
教祖様は、
「此方の道では、やくとは世間でいう厄ではなく、役人の役という字を書く。やく年とは役に立つ年ということである。大厄の年とは、一段と大きな役に立つ、大役を勤める年と心得て、喜び勇んで元気な心で信心をせよ」
と教えられています。
いろいろと心配することなく、ここまで年を重ねてきたことを神様に御礼申し上げ、災いをおそれて厄払いを願うのではなく、「どうぞここからお役に立たせてください」と、祈りを込めてまいりたいものです。
今思われていること、抱えている悩みなど心の内をそのまま教会でお話しされ、取次を頂かれることが大切です。
お話しされた内容は、他に漏れることはありません。お住いの近隣の教会をご紹介させていただきます。どうしても参拝できない場合は、手紙やメールでもお受けいたします。ご連絡ください。
金光教本部や、全国の教会には、信仰の有無や年齢や性別、信仰などに関係なく、どなたでも参拝し、取次を頂くことができます。
アメリカ(含ハワイ)、カナダ、ブラジルには金光教の教会があります。
また、ヨーロッパやオーストラリア、パラグアイ、韓国などでは、集会を行うこともあります。
金光教の教会は日本国内に約1400、国外に約30の教会があり、宗教、宗派を問わず、どなたでも参拝できます。
なお、教会により開閉時間が異なり、教会の行事や先生の都合もありますので、はじめての場合は一度、教会へお問い合わせの上、参拝されてもよいかと思います。
教祖・生神金光大神は、数字の”四” を ”死” と解釈して忌む一般の風潮に対して、”よかれ” の ”よ” であり、”始終幸せ” の ”し” であると言われました。
拍手を四回打つのは、教祖様のこの教えに基づくものです。
金光教では、神様へのお供えはそれぞれの方の真心でなされることが大切とされています。
それは、教祖様が
「人が真(まこと)から供えるのは神も喜ばれるが、寄付を募って人の心や生活を痛めて(苦しめて)は、神は喜ばない」
と、厳しく教えているからです。
強制的になされたり、義務を課されたりすることはなく、それぞれの思い、真心でお供えをされてください。
感謝と祈りの心を込めて、神様にお供えすることが大切で、人間側の思惑や打算が入らぬよう心がけたいものです。
取次を願うと、御神米を頂くことがあります。
御神米は、天地の恵みを表すものであり、その恩恵を忘れることのないようにとの願いが込められています。
拝む目当てにしたり、祈りを込めて食べたり、身につけたりします。 なお、御神米は、お米を丁寧に洗って乾燥したものです。そのまま口にすることもできます。
祭典は、それぞれの人のお礼やお願いを、祭主が祭詞をもって神様に取り次ぐことを中心とした儀式をはじめ、儀式のあとに行われる教話などをあわせて祭典といいます。
月ごとに仕えられる月例祭や、一年のうちに恒例で仕えられる大祭や霊祭などがあります。
教祖・生神金光大神は、
「祭り日は、信心を忘れないための大切な日である」
と言われています。
皆で祭典を頂き、ここまでのことにお礼申し上げ、これからの願いを新たにさせていただくことが大切です。
特に手続き等はございません。どうぞ、ご自由にご参拝ください。
入信にあたっての条件や入会金等の特別な義務はありません。
金光教の教えに沿った生き方を目指そうとする人を「信徒」と呼びます。
信徒の中で、自ら願い出て冠婚葬祭を金光教の儀式で行う人を教徒と呼びます。
もちろん、信徒であっても願いに応じて、金光教で儀式を行うことができます。
脱退にかかわる束縛は一切ありませんのでご安心ください。
金光教には、神社で販売されているようなお守りはありません。
しかし、信奉者が個人的にお守りのように扱っているものはいくつかあります。
取次を願うと、御神米を頂くことがあります。
御神米は、天地の恵みを表すものであり、その恩恵を忘れることのないようにとの願いが込められています。
拝む目当てにしたり、祈りを込めて食べたり、身につけたりします。 なお、御神米は、お米を丁寧に洗って乾燥したものです。そのまま口にすることもできます。
金光教本部をはじめ各教会や、信奉者の家庭などに、天地書附が掲げられています。
この書附は、天地金乃神の命により、教祖様が参拝者に授けたもので、
「これは心の守りであり、信心を日々忘れないための書き付けとして、よく見えるところに掲げるように」
と教えられました。
下附を願われるかたは、教会または、当サイトお問い合わせフォームよりお問い合わせください。
教祖やその弟子たちが残した、多くの教えを記したもの(書籍やしおり等)を日々の信心生活に取り組む際の指針として、大事にします。
み教えしおりは、本部の境内の案内所、金光教徒社(金光教関係の図書販売所)にて配布しています。
また、み教え短冊は、お正月三が日に本部境内にて配布しています。