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施設案内

目次

金光教本部周辺地図

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各施設

境内案内所

境内にある総合案内所です。
通常の開所時間は、AM9:00~PM2:00頃、本部教庁が休務の日(主に土日祝)はAM8:00~PM16:45頃です。
なお、年末年始や大祭期間中は開所時間が変更になります。

拾得物の一時お預かりもしています。

広前会堂(かいどう)

金光教の神をまつり、取次を行う中心的な建物です。

外観

内部

24時間いつでも参拝出来ます

地階休憩所

3:00~20:30まで利用できます

正面に天地書附(てんちかきつけ)を奉掲して「天地金乃神(てんちかねのかみ)」「生神金光大神(いきがみこんこうだいじん)」をおまつりした神前があります。向かって左側は信奉者のみたまを霊神(れいじん)としておまつりした霊前です。右側には結界があります。
結界では教主が取次(とりつぎ)を行っており、どなたでも取次(とりつぎ)を頂くことができます。

また、この本部広前会堂では毎月10日、22日に月例祭(げつれいさい)が行われています。そのほか、元日祭、越年祭、また、春分の日と秋分の日には霊祭(れいさい)が行われます。

地階休憩所

3:00~20:30まで利用できます

地階には休憩所があり、AM3:00頃~PM8:00頃まで利用できます。(お手洗いは南北玄関と休憩所内に計4カ所ございます)

その他の箇所

スクロールできます
正面入口
正面入口へのスロープと地階入口
地階入口
ロッカー(地階南北に2箇所)
男性トイレ
女性トイレ(玄関側)
多目的トイレ(玄関側にあります)

広前祭場

祭場正面

恒例となっている儀式・行事のうち、全国からたくさんの参拝者が集うときは、祭場で祭典・行事を行います。
天地金乃神大祭(てんちかねのかみたいさい)(4月)、教団独立記念祭(6月)、少年少女全国大会(8月)、生神金光大神大祭(いきがみこんこうだいじんたいさい)(10月)、布教功労者報徳祭(12月)が行われます。

祭典時の様子

各所

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祭場北トイレ
祭場北側トイレ内部
祭場東側トイレ
祭場南側トイレ(通常しまっています)

修徳殿

外観

祈り、講話、班別懇談のほかに、掃除、食事など、日常生活の一切を修行として取り組む入殿(にゅうでん)の他、各種講話を拝聴する会場など、さまざまな研修のための施設です。
結婚式などの儀式に使用されることもあります。

現在の会堂建物ができるまでは本部広前会堂として、この建物で三代教主・四代教主が取次(とりつぎ)をされていました。

また、金光教本部では毎年4月に、この修徳殿で、子どもたちの成長を感謝し、学業成就を祈念する勧学祭(かんがくさい)を行っています。

境内休憩所

AM8:00~PM5:00まで休憩施設として無料で利用できます。

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内観
授乳室(ご利用の際はお声がけください)
男性トイレ
女性トイレ
多目的トイレ(休憩所屋外から入り口向かって右側)

立教聖場

外観
内観

この建物は、教祖様の自宅(1850年建築)を1933(昭和8)年に復元したものです。

教祖様は、1859(安政6)年から、逝去するまでの24年間、この家をほとんど離れず、取次(とりつぎ)に専念しました。現在の本部広前会堂の原点となる建物です。

1863(文久3)年「表口の戸をとり、戸閉てずにいたせ」との神命に従い、入口の戸がありません。これにより、神をまつり、取次(とりつぎ)を行う広前が世間に常時開放されることとなりました。この伝統に従い、現在も本部広前会堂の表口は、常時開放されています。

また、この敷地にある井戸は教祖様が使用していたものと伝えられています。

教祖奥城(おくつき)

教祖・生神金光大神(いきがみこんこうだいじん)、その妻の一子大神(いっしだいじん)(金光とせ)、4男の金光山神(さんじん)(金光萩雄(はぎお))、5男の金光四神(しじん)(金光宅吉(いえよし))他、計11柱のお墓があります。

教祖・生神金光大神(いきがみこんこうだいじん)の墓石は、1893(明治26)年、金光四神(しじん)が逝去した年(教祖没後10年目)に建立されたものです。

奥城への参拝には、エレベーターもご利用いただけます。稼働時間帯は4:30~18:30です。

生神金光大神(いきがみこんこうだいじん)

教祖・生神金光大神(いきがみこんこうだいじん)は1814(文化11)年旧暦8月16日に生まれ、1883(明治16)年10月10日に数え年70歳で逝去しました。
墓標には石の八角柱で「教祖 金光大神(こんこうだいじん)人力威之命(じんりきおどしのみこと)() 奥城(おくつき)」と刻まれており、側面には教え(慎誡)が12箇条刻まれています。

一子大神(いっしだいじん) 金光とせ

一子大神は教祖様の妻で、1819(文政2)年2月6日に生まれ、1885(明治18)年2月8日に数え年67歳で逝去しました。
教祖様(当時の氏名・赤沢国太郎)が23歳の時、一子大神(当時の氏名・古川とせ)は18歳で金光大神のもとに嫁ぎました。
墓標には、「金光登勢一子大明媛之(こんこうとせいっしおおあかるひめの) 奥城(おくつき)」と刻まれています。

金光山神(さんじん) 金光萩雄(はぎお)

金光山神(さんじん)は教祖様の4男で、金光教が1900(明治33)年に神道本局から独立した当時の管長でした。
1849(嘉永2)年旧暦4月25日に生まれ、1919(大正8)年12月17日に数え年71歳で逝去しました。
墓標には「金光山神大道立別乃命之(こんこうさんじんおおじたてわけのみことの) 奥城(おくつき)」と刻まれています。

金光四神(しじん) 金光宅吉(いえよし)

金光四神(しじん)は教祖様の5男で、教祖・生神金光大神(いきがみこんこうだいじん)の取次の業を継ぎました。
1854(安政元)年12月25日に生まれ、1893(明治26)年12月20日に数え年40歳で逝去しました。
墓標には「故教監(もとのきょうかん) 金光四神貫行君之(こんこうしじんつらゆきのきみの) 奥城(おくつき)」と刻まれています。

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参拝席の様子
奥城へ上がるエレベーター(会堂北側)
立教聖場から教祖奥城へ上がる階段。 参拝道から立教聖場向かって右側に階段があり、両側及び中央に手すりがある。また、階段には踊り場があり、教祖奥津城はそこから左の階段を上ったさきにある。
立教聖場から教祖奥城へ上がる階段
朝のご祈念の様子(写真は正月)

歴代教主奥城

歴代教主奥城正面

歴代教主であった金光攝胤(せつたね) 様、金光鑑太郎(かがみたろう) 様、および家族の墓所です。

三代教主・金光攝胤(せつたね) 様は1880(明治13)年8月5日に生まれ、1963(昭和38)年4月13日に84歳で逝去しました。
四代教主・金光鑑太郎(かがみたろう) 様は1909(明治42)年4月26日に生まれ、1991(平成3)年1月10日に81歳で逝去しました。

奥城周辺では春には多くの桜が咲き、花見の場所として地元の人々にも親しまれています。

参拝席の様子
奥城横の広場に咲く桜

本部総合庁舎

外観

金光教本部の事務所と金光図書館、展示室などが入っています。

エントランス
1F展示室

金光図書館

本部総合庁舎の2階から3階に開設されている金光図書館は、金光教の公益事業として創立されました。

特色ある宗教図書館として金光教関係の書籍・資料を中心に収蔵しています。もちろん一般図書も多数あり、蔵書数は22万冊を越えています。どなたでもご利用いただけます。

金光教学院

1894年(明治27年)11月29日に創設した金光教の教師養成機関です。
入学者は一年間、金光教教師として必要な知識の修得をはじめ生活一切を修行として取り組みます。

金光教教学研究所

1954年(昭和29年)11月1日の開設以来、金光教の教義、布教、歴史、教制等に関する調査研究をすすめています。
また、金光教教学研究所客殿、客殿付属舎、洋館の建物は登録有形文化財に指定されています。

金光教徒社

金光教の書籍や教団の新聞である『金光新聞』を販売しています。
また、金光教徒社東棟・中央棟・西棟の建物は登録有形文化財に指定されています。

金光教平和活動センター

特定非営利活動法人(NPO)として、主に東南アジアの教育支援活動をしています。

北ウイング 光風館・やつなみホール

光風館

宿泊を伴う研修施設として、利用できます。

やつなみホール

参拝者の休憩施設として無料で利用できます。その他、多目的ホールとして、各種講演会や儀式の会場としての利用もできます。

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