神様に導かれての人生


●信者さんのおはなし
「神様に導かれての人生」

金光教放送センター


 山口県の南西部、瀬戸内海に面した山陽小野田市。水平線に沈む夕日が美しく、「日本の夕陽百選」に選ばれている奇麗な海岸がある一方、瀬戸内工業地域の一角として、明治のころから工業都市として栄えてきた町です。
 この町で生まれ育った天満広志てんまひろしさんは、今年54歳。奇麗な夕陽の見える海岸からほど近い金光教小野田市おのだし教会に参拝しています。
 今から100年ほど前のこと、広志さんのひいおばあさんが、生活の苦しさから、子どもを連れて自殺しようとさまよい歩いている時に、見ず知らずの女性に声を掛けられ、金光教の教えに触れたことがきっかけとなって、天満家の信心が始まりました。
 広志さんも子どものころから、お母さんに連れられてお参りを続けており、今では、奥様と3人の息子さんも、そろって教会にお参りしています。
 広志さんは、「もしも、ひいおばあさんが、あの時、その女性に出会わず、金光教の教えに触れていなければ、今の天満家はありません。その後においても、じつは私自身、この世に生まれなかったかもしれないんです」と話します。
 それは、広志さんのお母さんが、広志さんを身ごもった時のことです。複雑な事情から、お母さんは、この子は産むまいと考えたそうですが、教会の先生から、「せっかく授かった命。産ませてもらいなさい」と説得され、出産した経緯があるのです。
 その後、未熟児で生まれた広志さんは、子どもの頃から体が弱く、家族を始め、教会の先生の祈りに支えられ、育っていきました。
高校卒業後は、神奈川県にある化学工場に就職しましたが、入社後、数年してから、大きな手術を受けることになりました。
 会社では、社員の健康増進を図るために、毎年、職場対抗の駅伝大会が開かれており、若手社員は、仕事そっちのけで、昼休みも駅伝の練習として、工場の中を走らされるのです。同期の中でも足の遅かった広志さんは、その練習が嫌でたまらなかったのですが、それでも毎日、練習を重ねるうちに、次第に体力も付き、選手に選ばれるまでになりました。
 ただ、広志さんには、気掛かりなことが一つありました。それは、中学生のころから、左腰に出来ていたしこりが、徐々に痛み出してきていたことでした。
 駅伝の練習が、厳しくなるに従い、痛みもひどくなり、24歳の時に、会社の診療所に相談したところ、東京の大学病院を紹介されました。検査の結果、骨盤部分に腫瘍しゅようが出来ており、骨盤の骨の切除次第では、術後、車椅子生活になるかもしれないとの診断でした。思いも寄らない大きな手術を受けることになり、その後の生活がどうなるのかと心配でたまらなくなりました。古里のお母さんや教会の先生の祈りの中で、手術は無事成功し、生活には不自由しない程度の切除で済みました。そして、日頃の生活も、何ら変わることなく進めることが出来、手術の2年後には、改めて選手として駅伝大会に出場し、なんと区間賞まで取ることが出来たのでした。
 その数年後のことです。広志さんは、地元に新しい化学工場が出来ることを聞き、神奈川の会社を退職して、山口に帰ることにしたのですが、その転職は、実に不思議なものでした。一口に化学工場と言っても、その仕事内容は千差万別です。神奈川の工場で扱っているのは、全国にも数カ所しかないような特殊なものですが、それを扱う工場が地元に出来たのです。そして、普通なら他社からの転職は難しい中、ちょうど教会のご信者さんの中に、その工場建設に関わる方がおられ、その方の紹介で入社することが出来たのでした。
 広志さん自身、ちょうど、地元に帰って、子どものころのように教会にお参り出来る生活がしたいと願っていた時期でしたので、神様が導いて下さっていることを強く感じたのでした。
 地元に帰った広志さんは、その後、結婚し、3人の子どもにも恵まれました。
 順調な生活を送っていた広志さんですが、42歳の時、会社の人間関係で悩むことになり、気持ちが落ち込み、うつ状態に陥ってしまいました。会社に行こうとすると不安に襲われ、会社を休むようになりました。薬を飲んでも、気持ちは落ち着かず、でも教会に参拝すると、不思議と心が落ち着きました。
 ある時、先生から、「あなたには、神様が付いて下さっているんだから、自信を持ってさせてもらわないといけないよ」と言われました。その言葉で、何か、安心することが出来、家族の支えもあって、会社に復帰することが出来るようになったのです。
 広志さんは、こう言います。「その時、その時には、分からなかったのですが、今、改めて人生を振り返ってみると、一つ一つの事柄に神様が段取りを付けて下さったと思えるのです」。
 このように話す広志さんは、高校卒業後、神奈川の工場に就職しなければ、駅伝もしていなかったでしょうし、そうすれば、骨の腫瘍もそのままにしていたかもしれません。東京の大きな大学病院で手術してもらえたこともありがたいことでした。そして、手術が終わってから、地元に帰ることが出来、家庭を持つことも出来ました。心を病んだ経験が、今、職場の人たちへのサポートにも役立っているのです。
 神様の大いなる働きに導かれ、今日の命を生きている。その喜びをかみしめつつ、広志さんは今日も仕事に向かいます。

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