喜びを見つける稽古


●先生のおはなし
「喜びを見つける稽古」

金光教住吉すみよし教会
岡部道榮おかべみちえ 先生


 みなさんおはようございます。どのような朝をお迎えでしょうか? 
 金光教の前の教主、金光こんこう鑑太郎かがみたろう様は
 「賜びしいのちあるありて今日も目ざめたり目ざめしことはありがたきかな」
 「賜びしいのちあるありて今日も目ざめたり目ざめしことはありがたきかな」
と、命は賜ったものであるという歌をお詠みになり、一日のスタートを「ありがたい」という喜びの心から始めておられます。
 寝ている間に、やれ心臓を動かさなきゃとか、息をしなくちゃと考えている人は一人もいないでしょう。もちろん起きている間もあまり意識をせずに生活をしています。
 朝目覚めたのではなく、神様のお恵みの中に、目覚めることが出来た、というのが本当のところであり、その喜びとお礼の心をもとにした今日一日の生活でありたいと思います。
 人の心は良い方にも悪い方にもコロコロと変わっていくものですが、少しでも「ありがたい」「うれしい」と思える方向へ心を運ぶ稽古を重ねていくと、問題が起きてきた時にも、潰されることなく、元気な心になることが出来るのです。
 今から12年前、平成15年の私の体験をお話させて頂きます。その年の春、たまたま受けたガン検診で、大腸からの出血があるということで再検査を受けることになりました。約半月ほどを掛けて色々な検査をした結果、結腸の部分にガンが出来ていることが分かりました。人生初めての大きな病気であり、がんイコール死という考えが頭をよぎりましたが、わりと初期の段階で、腹腔鏡手術が可能であるとのお医者さんの説明を聞き、病院関係者、お世話頂く方々の手を通して、神様に手術をして頂こう、神様にお任せしようという思いになっていきました。
 そして、いよいよ明日入院という日に夫が、「がんで今日、明日死ぬということはないだろうが、全身麻酔での手術であり、もしや、ということがあるかもしれん。それでもし死んだりしたら、葬式で何か希望があるか。希望があれば今のうちに聴いておこう」と言うのです。
 私はもうびっくりしました。これから手術を受けようかという人に対して、もし死んだら…なんて言わないでしょう。私は何も言葉が出ませんでしたが、こんな時は不思議なことに、ほんの短い時間だったと思うのですが、いろいろなことを考えるものです。「なんてひどいことを言う人だろう。でも、いやいや待てよ、これは夫が言っていると思うと大きな間違いをしてしまうかもしれない。これは今度の病気を、私がどれほどのしっかりとした思いで受け止めているかを、神様が夫の口を通して確かめておられるのではないか」と思ったのです。こう思えたのはありがたいことでした。
 下手をすると、激しい夫婦げんかになるところだったのかもしれません。私は夫に、「暗くて狭いところは嫌いなので、すぐにひつぎには入れないで下さい」と、一つだけ希望を伝えました。
 この出来事のおかげで、私の心の片隅に少しだけ残っていた不安もなくなり、心が楽になりました。看護師さんが、「あんなに明るく手術室に入っていかれた方は初めてです」と夫に話されるほどでした。手術も無事終わり、大安心の入院生活を送ることが出来ました。
 それから4カ月後のこと。今度は私の両目が緑内障になっていることが分かりました。放っておくと視野がどんどん狭くなり、ついには失明してしまう可能性のある病気です。術後の体もまだ本調子ではなく、「腸の次は目か…」と正直落ち込みました。
 しかし、金光教祖の教えに、次のようなものがあります。「神は、人間を救い助けてやろうと思っておられ、このほかには何もないのであるから、人の身の上にけっして無駄事はなされない。信心しているがよい。みな末のおかげになる」という教えです。私はこの教えを思い出し、繰り返し頂いているうちに、「そうか、入院前日に夫が言った通りに、私はこのがんで命が無かったかもしれない。本当は命が無いところを、目の病気とに分けて下さり、神様が命をつないで下さったに違いない」と思えるようになり、ありがたい思いで胸がいっぱいになりました。この時の感激は忘れることはありません。「あの時、助けておいて良かった」と、神様に喜んで頂けるような生き方になるよう、願い続けています。
 10年以上たった今も、両方の目がお互いの見えていない部分をカバーし合って、両目で見れば、まだ車の運転が出来るほどの視力を頂いています。
 腸の方も、直腸の長さが数センチと短いので、少量の排便が一日に何度もあるというのが今の私の「普通」となりました。でもたまに、手術前のように立派な排便の時もあります。そんな時には流してしまうのがもったいなくて、手を合わせてお礼を言いながら、しばらく眺めたりします。
 目が見えることも、食事が出来て排便があることも、決して当たり前のことではないということを、病気を通して気付くことが出来れば、がんも、緑内障も、困った事ではなく、むしろ私に色々なことを教えてくれた、ありがたい事柄となっていきます。
 今朝もこうして目覚めることが出来ました。新しい一日の始まりです。朝食をしっかり頂いて、元気な前向きな心になり、今日出合う全ての人や物や事柄との間に、一つでも多くの喜びや楽しみを見つけていきましょう。

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