神様のつけた道


●先生のおはなし
「神様のつけた道」

金光教平野ひらの教会
宮下寿美みやしたひさみ 先生


 私たちの生活の中には、様々な思い掛けない出来事が起こります。誰でも、つらいこと悲しいことは避けたいものですが、そううまくはいきません。金光教の信心をしていても例外ではありません。
 3年前の1月、妻が大阪市の無料子宮頸がんの検診を受けに行きました。病院へ迎えに行った私の車に乗り込んできた妻の顔は、どことなく曇り顔。「子宮頸がんは見付からなかったけれど、卵巣膿腫のうしゅが見付かった」と言うのです。
 卵巣膿腫とは、卵巣内に出来る腫瘍です。医師によると、右側の卵巣に15センチ大の膿腫が出来ているという診断でした。大きくなった膿腫は、ねじれたり破れたりする危険が増すので、早く摘出手術をしなくてはなりません。しかし、手術は卵巣の機能に影響を及ぼす可能性があります。妻は、以前に同じ病気を患い、左側の卵巣の開腹手術を受けていたのです。今回が右側だとすると、これで左右両方の卵巣にメスが入ることになり、子どもを授かりたいと願っていた私たちにとっては、大変なショックでした。
 私は妻に、「神様は私たちのために、このタイミングで病気を発見させて下さったのだから、神様にすがらせて頂いて、ここから道をつけて助けて頂けるようお願いしていこう」と話し、教会に戻って2人そろって神様にお願いしました。この時から、毎日の祈りの内容が一つ増えることになりました。
 後日、妻は、膿腫を詳しく調べるためにMRI検査を受けに行きました。すると、なんと膿腫があるのは、以前手術した方の卵巣だと言われたのです。そして、「内視鏡での手術のため、お腹の脂肪が邪魔になるので、ダイエットをして下さい」とのことでした。
 私たちは、約2カ月先の3月13日に決まった手術に向け準備を始めました。3月から4月は、教会では大きなお祭りをお仕えする忙しい時期です。術後の身体に障らないかがまた心配ですが、かと言って手術の日程を変更するわけにもいきません。無事に夫婦そろって乗り越えられるように、更にお願いの内容が増えていきました。
 3月に入り、万全の注意をしていたのにもかかわらず、入院直前になって急に、妻が38度以上の発熱。入院予定日にも熱は引かず、とうとう手術は延期になってしまいました。薬や麻酔との関係で、発熱より1カ月間は手術は出来ないとのこと。しかも4月はもう手術の予定がいっぱいで、5月1日まで延期されたのです。
 その間、お願いの内容は一つひとつと増え、減ることはありません。有難いことに、心配されていた膿腫がねじれるなどの緊急事態も起こらず、忙しい時期も無事に乗り越えられました。延期されたことで妻のダイエットも目標を達成出来、体調を万全に整えて手術に臨むことが出来ました。
 そうして手術も無事に終わり、お礼を申し上げたところ、なんと主治医から、「膿腫は以前手術した方ではありませんでした。大きくなった卵巣がお腹の中央に移動しており、見間違えていたのです。しかし、卵巣の機能を残すよう最善を尽くしましたから、心配はないと思います」と説明を受けました。私たち夫婦は、医師の言葉に驚くと共に、ホッと胸をなで下ろしました。
 最初の診断のまま、正常な卵巣に膿腫が出来ていると聞かされて手術に臨んでいたら、どうだったでしょう。両方の卵巣がダメージを受ける。すると子どもは授からないかも知れない。その心配で妻の心は手術前に押し潰されてしまったかもしれません。神様は私たち夫婦が安心して手術に臨めるように、願っていた以上の道づけをして下さっていたことに初めて気付かされました。
 手術から2日後、妻は無事に退院することが出来ました。摘出した部位の細胞検査の結果も良性でした。そして、その年の年末に、妻は妊娠し、翌年の夏に無事に出産しました。やんちゃな息子は、今では家族みんなの笑顔の元になっています。
 金光教の教祖は、「何事もみな、神様の差し向け。びっくりと言うこともあるぞ」とおっしゃいました。
 生活上起こってくることは、自分にとって都合の良いことや悪いこと、好きなことや嫌なこと、色々ありますが、その全てが、神様が私たちを良い方向に導こうと祈って下さっている中での出来事です。ですから、何事も神様が差し向けて下さったこととして受け止めることが大切だということです。
 私たちにとっても、妻が卵巣膿腫になり手術をすることになったのは、まさしく「ビックリ」という試練でありましたが、出来事の順番が一つでも入れ替わったらどうだったでしょう。病気が分かる時期、手術のタイミング、膿腫の場所、そして妻の妊娠も、絶妙の順番で起こってきました。
 もしも、妊娠した後で、卵巣膿腫が発見されたとしたら、それこそ大変なことになっていたわけですから。一つひとつをみると、難儀な出来事に見えますが、全体を通してみると、神様が付けて下さった道の上を、助かりに向かって進んでいたのです。
 神様が、私たちを救い助けようと導いて下さるお働きの中で、生かされていると実感出来た経験は、私たち親子がこれから生活を送っていく上に掛け替えのないものとなったのです。

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