●昔むかし
「市助と笛」
金光教放送センター
朗読:杉山佳寿子さん
昔むかし、ある海沿いの村に、働き者の漁師の夫婦がおりました。市助という子を頭に、次々と5人もの子どもを授かりましたので、暮らし向きは楽ではありません。父親はなお一層働き、母親は狭い畑を子どもたちに手伝わせ、よく働いておりました。
さて、村の人たちが楽しみにしている、お宮の春のお祭りの日が来ました。市助も家中そろって出掛けました。お宮に着きますと、丁度お囃子が始まるところです。人々はドッとどよめきました。市助はそのお囃子の、老人の吹く笛の音にすっかり引き込まれてしまいました。「何と美しい音なのだろう!」
もう夢中です。お囃子が終わり、ハッと気が付きますと、さっきまでしっかりと手をつないでいた妹のお春がいないのです。「どうしよう! どこに行ったのだろう?」。市助はお宮のあちこちを必死で探しました。
やっと見付けた時、お春は庄屋様の娘の妙と手をつないでおりました。市助は思わず駆け寄って、
「お春、どうしてあんちゃんと一緒にいなかったんだ!」
と言いますと、妙は笑って、
「市助さんがお春さんの手をあまりに強く握るので、手が痛かったそうよ。何に夢中になっていたの?」
市助は思わず、「笛の音」と言いそうになりましたが、慌てて口を閉じ、妙にお礼を言いました。
さて、それからです。市助の頭の中は、寝ても覚めてもあの笛の調べが響き渡っております。
「笛が欲しいなあ…」と思いました。けれども、その日の暮らしがやっとという親に、そんなぜいたくなことは言えません。市助は考えて、考えて、考え抜きました。
朝早く、海沿いの川のほとりを通る村人は、市助の姿を毎日見掛けるようになりました。そうです、市助の考えたことは、川でシジミを採って魚屋さんに引き取ってもらうことでした。毎日小銭をもらっていたのです。
そんな小銭をためて、あのような立派な笛が買えるのでしょうか…?
ある日、妙が川の側を通り掛かり、市助に目を留めました。市助は魚屋に行き、小銭をもらった後、家に帰るのかと思いましたら、なんと反対方向のお宮に向かっていくではありませんか。そうして、今、魚屋からもらった小銭をさい銭箱に入れ、一心にお願いしております。その市助の声が、かすかに妙の耳に入りました。でも…可哀想だけど、それはかなわぬ夢だろうと思い、妙は立ち去りました。
待ちに待った、秋祭りの日が来ました。市助は再び笛の音に心を奪われ、もう夢見心地です。
翌朝、例によって川でシジミを採っておりますと、何やら立派な紙入れのような物が、川岸に引っ掛かっておりました。中を見ますと、書き付けのようで、市助には読めない難しい字が並んでおります。市助は、庄屋様の所にお届けに行きました。
それは、庄屋様の所に泊まっているお客様の物で、どこで無くしたか大層困って探していた、とのことでした。
さて、その日の暮れ時、市助の家に、妙と、何とお祭りの時に笛を吹いていた老人が現われました。老人は言いました。
「市助さん、今日は私の大切な書き付けを届けてくれて本当にありがとう。お礼に、と言っては何だが、私の笛を差し上げよう」
市助は大層驚いて、
「そんな立派な物は頂けません」
すると妙が、
「市助さんは笛が欲しいのでしょう? 遠慮せずに」と、ほほ笑みます。老人は、
「市助さんのことはお妙さんから聞きましたよ。あの書き付けは、私に都に戻るようにというお指図でした。もうどこのお宮でも笛を吹くことはないでしょう」
と、ためらっている市助の手に笛を渡しました。なおも老人は、
「このお妙さんは、笛も吹きなさる」
市助はびっくりして妙をまじまじと見詰めました。
「お妙さんに手ほどきをしてもらいなされ」
おしまい。