●信者さんのおはなし
「どこまでもまっすぐな道」

金光教放送センター
小学校4年生の夏、新しい水中メガネを買ってもらい、友人と磯遊びに出掛けた少年は、夕方家に帰る途中、水中メガネを忘れたことに気が付きました。幼いころから、両親に連れられ、金光教の教会にお参りしていたその少年は、「せっかく買ってもらった水中メガネ。早くしないと潮が満ちて流されてしまう」と、気持ちばかりが焦り、「神さま、神さま~」と必死に叫びながら、無我夢中で海岸へと引き返しました。海辺へ戻ると、着替えていた場所はすっかり潮が満ちていました。
「もうだめだぁ」。諦めかけたその時、目の前に探していた水中メガネが、プカっと浮かび上がってきたのでした。少年は驚きました。「神様は自分のことを必ず見てくれている。必ず守ってくれている!」と感動しました。この時の体験は、幼い少年が神様を感じるには十分な出来事でした。
古来、神が舞い降りたと言われる場所、熊野。熊野古道は10年前世界遺産に登録され、その名が一躍有名になりました。熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社の3つの神社は、熊野三山として親しまれています。
その熊野三山の1つ、熊野本宮大社で雅楽に使われる楽器の1つ、篳篥を40年にわたり吹き続けている田中克之介さんは、テントを製造、販売する今年78歳になる男性です。和歌山県の金光教新宮教会に熱心に参拝しています。若いころに雅楽の音色、演奏する姿の美しさに魅せられ、自ら篳篥を演奏するようになりました。やがて熊野本宮大社でも演奏するご縁を頂くようになったのです。
神や仏、修験道など多様な信仰に彩られた熊野の地で育ったせいなのでしょうか、田中さんの好きな金光教教祖の教えは、「わが信ずる神ばかり尊みてほかの神を侮ることなかれ」
幼いころに経験した水中メガネの出来事以来、金光教への信仰には揺るぎないものを持っている田中さんですが、自分が信心する神仏ばかりを尊んで、他の神仏を軽くみたり、見下してはだめですよ、という広く大きな教祖様の態度に感銘を受けました。
そのことが、他の宗教にご縁を頂いている方を尊重し、決して人をそしらない姿勢につながっているのです。
普段、人と接していると、つくづく感じることがあります。それは、信仰を持つ人と触れ合うと、その人の言葉やしぐさであったり、その温もりが、柔らかい光に包まれているような安心をもたらしてくれるのです。
そんな田中さんの信心姿勢を物語る話があります。
田中さんは、35歳から77歳になるまで、42年もの間、地域の民生委員を務めました。就任するに当たり、教会の先生から、「しっかりやらせてもらいなさい」と声を掛けてもらいました。たった一言ですが、その言葉の力強さ、優しさ、それは神様からの言葉として胸に刻まれたのです。
ある時、地元の社会福祉協議会が、体の不自由な方や高齢者の方を対象に入浴のボランティアを行うことになりました。それを聞いた民生委員の間にも、「ぜひ、協力させてもらいましょう」という声が上がり、60歳以下の民生委員が全員協力することに決まったのです。
ところが、いざ当日になってみると現場に姿を見せたのは田中さん1人だけでした。それでも、決して他の人を責めたり、恨んだりする気にはなりませんでした。「しっかりやらせてもらおう」という思いに加え、少しでもお役に立たせて頂きたいという願いの方がずっと大きかったからです。
それは、幼いころから教会にお参りし、自然に身に付いたものでした。決して迷うことなく、神様に心が向くようになっていたのです。それからも、「ネズミを捕ってほしい」とか、「ムカデにかまれたので何とかしてほしい」などといった、そんなのは民生委員の仕事じゃないだろうと誰もが感じることでも、その方の思いに寄り添って対応していきました。
そんな田中さんに、平成12年、65歳の時に、国から藍綬褒章が贈られました。これは、公のために尽くした者に与えられる褒賞です。皇居で授賞式に臨んだ時は、万感極まる思いでした。それは褒章そのものよりも、神様を尊ぶ心を失わずにここまで生きてこられたことに対する感謝と誇りの気持ちでいっぱいになったからでした。
そのことを語る田中さんの姿からは、その日その日を新たな気持ちで、神様に心を向け、気負うことなく生きてきた、一日一日の尊さが透けて見えます。きっと様々な困難にぶつかることもあったでしょうが、そのことを感じさせない、しなやかな姿です。
田中さんの現在の願いは、今のままの信心をそのまま続けさせて頂くこと、そしてもう1つ、この間違いのない神様を後世に伝えていくことです。
奥さんは、結婚して以来、家に祭っている金光教の神様にはご飯を、ご先祖様にはお茶を毎日欠かさずお供えしてくれています。長男は、横浜で就職したものの、今では嫁と孫といっしょに新宮に戻り、家業のテント製造販売会社を経営してくれています。高校生と中学生の孫も折に触れては、教会にお参りし、神様に手を合わせてくれています。
太陽がきらめき、風が森を渡り、木々の緑がまぶしい熊野の大地。理屈や理論や利害ではなく、気高きもの、聖なるものを敬う気持ち。素朴でたくましい信仰の美しさ。すべての命を認めていく心が引き継がれていく限り、この世界は光り輝く。未来への希望は、一人ひとりの心から生まれるのです。