アメリカで神様と出会った



●信心ライブ
「アメリカで神様と出会った」

金光教放送センター



(ナレ)おはようございます。
 今日は、アメリカの金光教サクラメント教会の教師、大矢嘉おおやよみすさんが、令和3年6月に、福岡県北九州市で行われた金光教の集会でお話しされたものをお聞きいただきます。
 大矢さんのお父さんの実家は、金光教を信仰していましたが、大矢さん自身は、金光教についてあまり知りませんでした。
 大矢さんは、今から40年ほど前、アメリカの大学へ留学。そこで金光教と出合いました。

(音源)私は「金光こんこう」という名前を音としては聞いていました。しかし、どんな字を書くのか知りませんでした。アメリカで小さな教会の看板に「KONKO」とローマ字表記で書かれてありまして、「ひょっとして、これは父の実家の宗教ではなかろうか」と思いました。そして、そこで話を聞きましたら、ものすごい宗教だということが分かりました。もう驚きの連続でした。
 その中で一番驚いたのは「生神いきがみ」ということでした。この発想は他にありません。「生きてる時に神にならずして、死んで神になれるか」。亡くなった偉い人を祭る神社は各地にあるのですが、金光教では、「生きている時に神になれ」と説いています。つまり、生きている私たちに神になれというのです。ものすごい教えなのですが、実際のところはどうなのだろうと思いました。
 その思いを払拭ふっしょくしてくれたのは、アメリカで出会った若い金光教の先生でした。そして、その先生を私は生涯の師と仰ぐことになりました。
 ある日、先生と話をしていた時のことでした。いろいろな留学生がいまして、その中に裕福な家庭でワガママいっぱいに育ったんだろうなと思える人を見て、「バカは死ななきゃ治らない」とつぶやく私に、先生は、「それでも、その人のことを願わなきゃ」とおっしゃいました。「そんな神様みたいな」と笑う私に、間髪を入れず、「その神になるのが、このお道」と先生。素晴らしく切れ味の良い返し技。私は言葉を失いました。しばらくして、「人が神になるんですか」と聞きますと、「教祖様がそうです。私の師匠もです。その稽古をしよるんよ。あなたも稽古しない?」とたたみかけるように言われました。圧倒されながらも、人が神になるという宗教があって、本気で求める人たちがいることにただただ驚いていました。
 これが、金光教との出合いです。このようなやりとりを金光教では「取次とりつぎ」と言います。金光教の素晴らしさは、取次による教えです。あらゆる難問、奇問、愚問に、実意に丁寧に答えてくださる先生は、決して裏切らないし、逃げません。そして、岡山弁混じりの教祖様の語り口には、どことなく懐かしく温かくほっこりするものがある。そんな教祖様の教えを頂けるお広前は、私にとって、とても居心地のいい場所になりました。乾いたスポンジが水を吸い込むように、教祖様の教えが私の脳髄から浸透し、体の隅々まで行き渡り、心を落ち着かせ、難儀から心を解放してくれました。
 ですから、教会へお参りするのが、楽しくなりました。おかげは本当に頂ける。何でも頂ける。「何でみんなお届けしないのだろう」と思ったことがあります。
 初めは、アメリカに滞在して、ちょっと英語を勉強するつもりで、1年分の授業料と生活ができるだけの費用を日本で用意して、渡航しました。1年が過ぎた頃、貯金も底を尽き、帰らなければならなくなりました。すると神様は、仕事を用意してくださる。奨学金も労働許可も頂く。そうして生活ができるようにしてくださいました。

(ナレ)いかがでしたか?
 私たちは、人生の中で様々な出会いがあります。大矢さんは、アメリカという異なる文化、生活の中で金光教に出合いました。
 相手を責めるのではなく祈る。どんな人のことでも祈って、神になる稽古をしている。衝撃の出合いでした。
 「真一心に神信心しておかげを受け、人を助けて神にならせてもらうがよい」という教えが金光教にあります。人のことを祈ったり、助けたりすることで神になる。
 大矢さんは教えに触れて感動し、喜びの生活を見付け、心が大きく変わり、生活も変わっていきました。
 その後、金光教の教師になって、現在アメリカ・カリフォルニア州にある金光教サクラメント教会で奉仕されています。

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