ミツバチさん


●こころの散歩道
「ミツバチさん」

金光教放送センター


 数年前のこと、岡山市内で珍しい落とし物が見つかった。それは、「グリーンイグアナ」という爬虫はちゅう類。
 「イグアナをペットにするなんて、どんな男だろう」などと勝手な想像をしていたら、後で落とし主が20代の女性だと分かって驚いた。「たで食う虫も好き好き」なのは分かっていたが、イグアナをペットにするとは、う~ん。
 常日頃からそんな考え方をしているものだから、いざ自分がミツバチなどというものを飼い始めても、最初のころは世間に向けて、あまり大きな声でそれを言い出せなかった。
 「趣味でハチを飼っているって? あの怖いハチ? うそお、変わってるね」とまでは言われないにしても、やはり反応はあまり良くない。
 「違う、違う、ミツバチ。それもニホンミツバチといって、昔から野生に住んでる、大きさは1センチちょっとほどの小さいヤツ。柔和でおとなしく、人を攻撃してくることなんてないよ」などといくら説明してみても、言い訳ぐらいにしか聞こえないのだろう、誰も納得などしてくれない。
 「でもそれって、刺すんでしょう?」。そう聞かれたら、私にはもう返す言葉がない。そう、私も立派に「変わった人」にされてしまった。
 「飼う」と言っても、やることは至って簡単。春先、ニホンミツバチが好みそうな所に、30センチ角ほどの木箱に小さな入り口を開けて置いておく。後はひたすら、巣別れを待つのみ。巣別れとは、女王蜂が新しい女王に巣を明け渡して半分ほどの群を連れて出て行くことで、その群が箱の中に入ってくれるのを待つ。もし入っても、鍵を掛けるわけでもなければ餌をやるわけでもない。
 そんなので「ミツバチを飼っている」というのも変な気もするのだが、とにかく私の場合、運良く1つの群れが箱に入ってくれて、めでたく飼い主になれたのだ。

 全国的にミツバチ不足が深刻化して、イチゴ、メロンをはじめ、多くの農作物の不作が心配されている。かのアインシュタインは「ミツバチがいなかったら、人類は4年しか生存出来ない」と言ったとか。
 花は種を残すために蜜を出してミツバチを呼び、ミツバチはその蜜を食糧として子孫を残す。花とミツバチは、どちらか一方でも欠けたらお互いが生きていくことの出来ない関係にある。
 そしてその恩恵を、私たちはいろんな農作物やハチミツ、といった形でこうむっているということなのだが、それほど人類にとってミツバチは大切な存在なのに、やはり蜂は蜂、ごく一部の人を除いて「ハチ」と名が付くだけでやはり嫌われるのだ。思わぬ所に巣でも作られた日には、すぐに「駆除」というのが現実だ。

 ミツバチを飼育していると、時々その駆除を頼まれることがある。駆除というと、一般的には殺してしまうのだろうが、私のように趣味で飼っている人たちの駆除とは保護すること、殺すようなことは決してしない。箱に入れて持ち帰る。すなわち保護することが目的だ。
 いつか飼育仲間からこんな話を聞いたことがある。
 ある町の役場から駆除の依頼を受けてボランティアで出掛けていったはいいが、いざ行ってみると最近のミツバチ不足を引き合いに出して「まさかタダでミツバチを持って帰る気ではないでしょう?」。そんな意味のことを言われたというのだ。もちろん冗談半分だろうが。
 私も何度か保護のための駆除に出掛けたことがあるが、駆除の現実はそれほど甘くはない。いつもはおとなしいニホンミツバチでも、いったん自分たちの大切な住み家に手を掛けられたとなると話は別。必死の抵抗を試みてくるから、こちらもお岩さんのようにされるのを覚悟でやらなければならないのだ。
 そんなことを言われた友人は「それでしたらどうぞ、自分たちで駆除して下さい」。そう言って現場を後にしたというのだが、その話を聞いて、私はなんだか悲しくなってしまった。

 越冬期を除いて、ニホンミツバチの寿命はたったの一カ月ほどだ。その間、ハチさんたちは、巣の掃除、育児、そして蜜集めなど、自分に与えられた役割にほん走する。そんな蜂たちを見ていると、なぜか、その1匹1匹が愛おしくて、心が癒されるのだ。
 ニホンミツバチを飼うようになったきっかけは、先に飼育を始めていた友人のこの一言。
 「ハチさんたちのために巣箱というおうちを提供する。その代わり、その家賃として蜜を少し頂く。どう、楽でいいでしょう」。

 実は少しだけ損得勘定で始めたミツバチの飼育なのだが、後になってあることに気付いて、少し反省している。
 それは、えらそうにミツバチからは家賃と称してハチミツを頂いているくせに、50年以上もこの天地に住まわせて頂いている私はというと、その天地に対して、少しの家賃もお支払いしていなかったのだ。

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