●先生のおはなし
「勇気をくれた言葉」
金光教吹田教会
近藤加奈美 先生
(案内役)おはようございます。案内役の大林誠です。
子育てには、いろんなトラブルがつきもので、病気をしたり、けがをしたり、親としては、ハラハラすることの連続ですね。
今日は、そんな体験をとおして神様のお心に触れることができたというお話です。大阪府・金光教吹田教会、近藤加奈美さんで、「勇気をくれた言葉」。
(本文)長男が小学3年生の冬の時のお話です。
夜、主人とフットサルの練習に行った息子が、口から血を流し帰ってきました。
話を聞くと、練習が終わり、寒かったので息子は手足をトレーナーの中に入れて、ダルマのような形で椅子に座っていたそうです。そして、バランスを崩してしまい椅子から落ちてしまったのです。子どもには高さのある椅子だったので、地面に手をつくこともできず、顔からそのまま落ちてしまいました。
翌日、総合病院に行き、レントゲンを撮り、診察してもらいましたら、上あごを骨折しているとの診断を受けました。レントゲンを見ると、素人でも分かるくらい、ヒビが入っていました。歯茎もザックリ切れていたので、すぐに口の中を縫ってもらい、あと少しで縫い終わるという時に、麻酔が切れてしまい、廊下に息子の泣き声が響きました。私は「神様、どうか早く息子の処置が終わりますように」と祈ることしかできませんでした。
どうにか無事に処置が終わり、家に帰って息子に、「学校どうしようか?」と問いかけると、「顔が腫れている間は、学校休む」と息子が答えました。学校を休むと授業についていけず、息子が大変にならないかと思いましたが、顔も腫れて口も開かず、しゃべることもご飯を食べることも難しいので、主人と相談し、1週間学校を休ませることにしました。
息子がけがをして1日、2日と経ち、ご飯も少しずつ食べられようになり、息子にも笑顔が戻り、思っていたよりも早く学校に行けるかなと思い、「明日から学校に行く?」と聞いてみました。しかし、返事は、「まだ行かへん」でした。
私たちは、「早く息子が普段の生活に戻れますように」と神様にお願いをしていましたが、息子の気持ちを一番に考え、休ませることにしました。
次の日の夕方、息子の担任の先生から電話が入りました。「けがはどうですか? まだ学校に来れませんか?」。私が先生に息子が行きたくないと言っていることを伝えると、「今からお家に行ってもいいですか?」と尋ねられました。「構いません」と答えると、すぐに来てくださり、私と息子と先生の3人でしばらく雑談をした後、先生が「本題やねんけど、なんで学校行きたくないん?」と息子に問いかけました。すると息子は、「顔が腫れて変な顔やから。皆に笑われるから嫌や」と答えました。私は、「やっぱり腫れが引くまでは、学校に行けないか」と思っていると先生が息子に、予想外の言葉をかけました。
「正直に言うな。絶対皆には笑われる。でもな、そんなこと言うてたら、いつまで経っても学校に行かれへん。それなら、明日学校来て、皆を笑わそう! でも、笑うのは朝の1回だけや。その時だけ笑わせて、その後は笑わさない。先生が約束する。笑った人がいたら先生が守る」
その言葉に、私も息子もビックリしましたが、先生の本気が息子に届き、あれだけ行きたくないと言っていたのに、「それなら、明日から行こうかな」と前向きになってくれたのです。
次の日、不安そうな顔で登校した息子でしたが、「皆に笑われたけど、先生の言うとおりその後は誰も笑わんかった!」と笑顔で帰ってきました。
息子に「何で先生と話して、行こうと思ったん?」と聞くと、「分からへん。でも何か勇気が出てん」と答えました。私は息子と同じ気持ちだと思いました。私自身、腫れた顔のまま息子が学校に行ったら、嫌な気持ちで帰ってくるかもと心配する気持ちがありましたが、先生のひと言で無くなったのです。先生の言葉は神様の言葉であり、息子はもちろん、親の心にも響いていました。
神様は息子のことだけではなく、私のこともわが子の様に思ってくれています。そんな神様の思いは、日常生活の中にたくさんあり、今回私たちは先生の口をとおして、背中を押し、勇気を与えてもらいました。
気付くことは難しいですが、いつも見守ってくれていることを忘れずに毎日を過ごしたい。そう思える出来事でした。
(案内役)いかがでしたか。
近藤さんは、担任の先生の言葉は神様のお言葉だったと言っています。それほどに、子どもさんのことを真剣に祈り続けていたんでしょう。わが子を愛しく思えば思うほど、神様も自分たち親子にどれほど深い愛情を注いでくださっていることかと、祈りの中で思いを深めていた。だからこそ、担任の先生の声が、神様の力強い救いの声として胸に響いたんだろうと思います。
「なぜ学校に行こうと思えたのか分からない」と話す子どもさんに、お母さんはそのあと、「神様があなたを元気付けてくださったのよ」と教えてあげられたんじゃないでしょうか。
いろんな経験をとおして神様のお心を受け止めていく中で、親も子も一歩一歩、安心の世界に導かれていくんでしょうね。