美しい心が育ちますように


●こころの散歩道
「美しい心が育ちますように」

金光教放送センター


 「お父さん、本当に名前が変わっていい?」
 私は、長女からの電話で思い出した。「ああ、そうか。今日、入籍するって言っていたっけ」。今さら妙なことを言うなあ、と思いながら、「もちろん、いいよ」と答えた。結婚式の3カ月前だ。結婚して名前が変わり、新しい家庭を築いていくことへの不安を感じていたのだろう。
 結婚式の当日、私は娘にそっと耳打ちした。「義子よしこ、名前が変わっても、お父さんとお母さんの子どもであることに変わりはないよ」
 長女は、「こんな時に泣かせるようなこと言わないで」と、うれしそうに答えた。

 結婚披露宴の最後に、長女が「お礼の言葉」を読み始めた。バックミュージックは「キラキラ星」。ずっと前、ピアノ発表会で、長女が初めて妹と弟、3人一緒に演奏した曲だ。
 「感謝の手紙なんて恥ずかしくて絶対嫌だと言っていましたが、意地っ張りな私は、このような場をお借りしないと素直になれないと思い、読ませて頂きます」

 「お母さんへ。気温が急に変化したり、風邪が流行っていると必ず、『元気ですか』と、かしこまったメールをくれるお母さん。体調を崩すと誰よりも心配してくれ、私の変化に誰よりも早く気付いてくれ、話を聞いてくれ、私を励ましてくれました。私は意地っ張りなので、ついつい生意気な口を利いたり、強い口調で反抗的な態度をとってしまいますが、本当はすごく感謝しています。家族思いで、優しい雰囲気と、たまに見せる天然ボケっぷりと、家族一涙もろく、感激屋さんの、心の奇麗なお母さん。いつも私の支えになってくれてありがとう」
 そんな長女の言葉を聞きながら、私は、長女が小学生だったころのことを思い出した。

 私は妻に
 「義子、このごろ元気がないみたいだけど」
 「ええ。友達が、義子のこと、無視しているらしいの」
 「へえ。幼稚園からずっと仲が良かったのに…」
 「今は我慢しているけど、ずっと、泣きながら帰ってきていたのよ」
 小学2年生の1学期末、それまで学校から一緒に帰っていた友達が、一緒に帰ってくれなくなったのだと言う。「気をつけて見守ってあげてね」と妻に頼み、幸い、3学期には一件落着したようだった。
 長女は3年生になって、その時のことを、「なかまはずれはもういやだ」と題する作文に書いた。
 「友達に一緒に帰ろうと言ったら、知らんぷりをされました。聞こえないのかなあと思い、また行って2人に一緒に帰ろうと言いました。また知らんぷりされました。はっきり言ったはずなのに、聞こえたはずなのになあと思って、その後をくっついていったら、私の方を振り向かずに、今まで仲良かった2人の友達がバーッと走って逃げて行きました。つらくて、泣きながら帰ってきました。家に帰ったら、お母さんがなぐさめてくれました」
 作文には、この他にも、仲間外れにされて、つらく悲しい思いをしたことがいくつも書かれていた。
 私は、長女がこんなにも心を痛めていたのを知り、まだ小さいからさほど深刻な事態には至らないだろうと、軽く受け止めていたのを反省させられた。妻がずっと寄り添い、慰め、励まし、祈り続けてくれたおかげで、長女はつらい時期を乗り越えることが出来たのだ。

 それから何年かして、私は、長女が小学5年の時に書いた作文を読んだ。友人のあきちゃんが、以前は仲の良かったみさとちゃんから無視され、ある日、殴る、蹴るの大げんかをしているところに、長女が出くわしたのだった。作文には、次のように書かれていた。

 いつもは仲良くしてて、内緒話もしていたあきちゃんとみさと。あんなに仲が良かったのにと思うと、涙が出てきました。
 席についても泣いていると、みさとから、「なんで泣いたん?」と聞かれました。
「あきちゃんとみさとが可哀想だった。いつもあんなに仲が良かったのに…」
 泣きながら答えると、
「そこまでして…。ありがとう。仲直りをするから…」
と言って、みさとも泣いていました。そして、あきちゃんと2人で抱き合って、仲直りをしていました。良かった…。

 作文の最後には、担任の先生のコメントが赤ペンで添えてあった。
「友達の悲しみを一緒に悲しむ。友達の喜びを一緒に喜ぶ。そんな美しい義子さんの心が、2人の気持ちを動かしたのです」

 長女は結婚した次の年、元気な男の子を出産した。私は、生まれたばかりのわが子におっぱいをあげている長女を見て、しみじみ思う。
 「お母さんがそうであったように、今度はあなたが、わが子に寄り添い、心配し、慰め、励まし、祈り続けていくんだよ。子どもと一緒に、美しい心を育み合ってね」

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