神様の願いにかなう生き方を


●先生のおはなし
「神様の願いにかなう生き方を」

金光教墨染すみぞめ教会
松岡光一まつおかこういち 先生


 今から20年前のことです。私の奉仕する教会では、当時80歳を過ぎた祖父が、教会長として日々の勤めを行っていました。ちょうど、教会設立60年の記念の年でもあり、教会の建て替え工事を行っていました。
 あと2、3日で完成するという時になって、天井に取り付けた大型のエアコンの1台が、うまく作動しないという連絡がありました。風は出るものの、一向に冷たくならないのです。メーカーに問い合わせると、取り付けの際、ほこりか何かが入ったのではないかということで、それはもう取り替えるしかないという返事だったのです。電気工事は、電器店を営むご信者さんがして下さっていたため、教会長の祖父に、すぐにその報告がありました。
 祖父は、何とか無事に動き出すように神様にお願いをしていましたが、その後、私達家族に向かって、びっくりすることを言ったのです。
 「こういう状況でエアコンが動かない。このままだと、新しい機械に取り替えるしかない。教会にお参りになっている皆さんの真心で出来た建物である。それなのに、まだ使う前からエアコンを取り外すなんていうことは、神様の体に傷を付けるようなものだ。取り外したエアコンは、捨てることになり、業者さんにも負担を掛けてしまう。それに機械といえども、神様のおかげで出来た物である。それを使いもせずに捨てることになっては、神様に申し訳ない。何とか神様にお願いをして、直していただきたいから、お前たちも一緒に祈ってくれ」と話したのです。
 長年、神様一筋に生きてきた祖父の言葉ですが、私は、正直戸惑いました。機械が故障して、動かないのです。メーカーの方も駄目だと言っているのです。それを神様にお願いして直していただくなんて、無理に決まっているじゃないかと、そう思わずにおれませんでした。ですから、祖父に頼まれたものの、神様へお願いをすることなど、とても出来なかったのです。
 工事期間中は、教会からほど近いところにあるご信者さんのお宅を、仮の教会として使わせていただいていました。祖父は、その神前しんぜん一心いっしんに祈り、その後、工事現場に行って、動かないエアコンの下に職人さんたちに集まっていただき、無事に動き出すように祈りを捧げたのです。そして、次に室外機の前に移って、同じように一心の祈りを込めました。そして工事関係者の方に「今、神様にお願いをしましたから、もう一度、試して下さい」と話し、自分は、仮の教会に戻り、神前でさらに神様にお願いを続けたのです。
 その後、職人さんたちは、何度も試運転を重ねて下さいました。そこで、一度、機械を逆回転してみようということになりました。すると、何度か試すうちに管から細かい粉のようなものが吹き出て、その後、徐々に冷たい風が出るようになったのです。
 工事に当たられた方々の驚きと喜びは、ひとしおでしたが、私はエアコンが直ったことを聞いて、大きなショックを受けました。あまりにも不思議な神様の働きをまざまざと見せられた驚きと、祖父の神様への向かい方のすごさに圧倒されたのです。世間の常識にとらわれ、神様に心が向かなかった自分との違いの大きさを見せつけられたようでした。
 その後も、この出来事を自分の中で消化出来ないまま、何かもんもんとしていました。そして幾日か経ったある日、祖父にこんな質問をしたのです。
 「壊れたエアコンが、神様にお願いして直るのなら、時計やテレビが壊れても、神様にお願いすれば直るんですか。壊れた物を持って、次々と人が直して下さいと言ってきたら困るんじゃないですか」
 そう言うと、祖父は「理屈を言うとそうかもしれんが、神様の願いにかなうことなら、何でもかなうんや」と答えたのです。まさか、そんな答えが返ってくるとは思いもよりませんでしたが、「神様の願いにかなうことなら、何でもかなうんや」という祖父の言葉が、何かとても力強い言葉として心に残り、その時、妙に納得出来たのでした。
 それからしばらく経ってからのことですが、祖父に、神様への祈り方、願い方について尋ねたことがあります。それは、神様にお願いをしている自分の姿を振り返った時に、「ああして下さい、こうして下さい」と、何か、自分の欲求を満たすために、神様にねだっているだけのような気がして、こんな祈り方で果たしてよいのだろうかと疑問が起きてきたからでした。
 すると祖父は、「神様の願いにかなうように、お願いすればいいんや」と教えてくれたのです。そして続けて「病気を治してほしいというお願いも、ただ早く良くなりますようにと願うのではなく、どうぞ病気を治していただき、元気な体になって、世のお役に立つ働きをさせて下さいと願えば、それは決して自分の欲をぶつけていることにはならない。商売繁盛を願うのでも、単に自分がもうかりますようにと願うのではなく、この商売を通してお客様に喜んでいただき、世のお役に立たせてくださいと願えばいい。そうすれば、神様の願いにかなう祈りになり、もっと力のこもった祈りになる」と話してくれたのです。
 神様は、私たち人間を神のいとし子として、愛して下さり、どこまでも私たちの助かりを願ってくださっています。そして、互いに助け合う生き方をしてほしいとの願いを掛けてくださっているのです。その神様の願いに気付き、沿わしてもらうことが出来た時、自分の願望を超えた、もっと大きな助かりの世界が生まれるのだと、祖父は教えてくれたのでしょう。
 神様の願いにかなう祈りが出来ているか。神様の願いにかなう生き方になっているか。今は亡き祖父から教えてもらったこのことが、今もなお、私の中で大きな課題になっています。

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