●信心ライブ
「感謝のお葬式」
金光教放送センター
(ナレ)金光教の集会で行われた発表や講話などを録音で紹介する「信心ライブ」。今日は、平成15年4月、金光教本部の祭典で行われた講話の一部をお聞きいただきます。話し手は岡山県乙島教会の教師、岩本徳雄さんです。ほんの数日前に101歳で亡くなられたお父さんを偲んでのお話です。
(岩本)それから年が改まりまして、今年の正月を迎えました。正月の元日祭に父は車いすで参拝をさせていただき、教会長として皆さんに、恒例のあいさつをいたしました。
「皆さん、おめでとうございます。私は今年101歳です。いずれお葬式がありますが、よそへ行くのじゃありません。天地に帰るんです。みんな天地から生まれてきて、天地に帰るんです。皆さん、自分がいつどこで生まれようと思って出てきた人がありますか? そうじゃないでしょう。生まれて気が付いたら、男じゃったり女じゃったりしたんでしょう。じゃからみんな、この世に生み出されとるんです。死んだら元の天地に帰るんですから、悲しいことじゃないんです。おめでたいことなんです。ですから、黒白の幕で泣いたりするんじゃなしに、紅白の幕で、『おめでとう』言うてお祝いして下さい。それで万歳して下さい」
こういうふうにあいさつをしたわけでございます。それで私が、お葬式の時に万歳が出来るかどうか分かりませんから、皆さん練習しましょうということで、参拝者に立っていただいて、万歳を三唱いたしましたが、やっぱり皆さん照れくさくてですね、手が半分くらいしか上がらないという方も多かった。
そういう状態でしたが、だんだんと、さすがに101歳の誕生日を1月31日に迎えてから、体が弱ってまいりまして、ついに3月13日の朝、101歳1カ月の長寿を全うさせていただきました。大好きな孫娘に手を握られて、にっこりと笑って、ほんとに死に顔とは思えない、そういう姿でお国替えをさせていただいたわけなんです。
いよいよその3日後に葬儀があります。当日、紅白の幕を張らせていただきました。そして弔辞を上げて下さる方たちも、その父の信心というものの中身に触れて、心からお礼を申し上げるという、そういう弔辞が続いたわけでございます。
そしていよいよ最後に、私が遺族代表として、皆さんにあいさつをさせていただきました時に、「皆さん、新しい御霊の神の誕生を祝って、万歳をさせて下さい」ということで、皆さんに立っていただいて、万歳を三唱しました。
普通考えたらお葬式に万歳をするなんていうのは、異様な行動だと思いますが、本当に自然な形で、正月の練習の時以上に、みんな手がパッと上がりましてね、そういうお葬式をお仕えすることが出来たわけでございます。
「人間は皆、おかげの中に生かされて生きている。人間はおかげの中に生まれ、おかげの中で生活をし、おかげの中に死んでいくのである」
こういう教祖様のみ教えがあるんですね。実は父は、こういう教祖様のみ教えに導かれて、その信心を101年かけて頂くことが出来たと、私は思うわけなんです。そして、最近、私の胸の中にしきりに思われておりますのは、その父が生涯かけて私どもに身をもって体現してくれた信心、ご用というものを、私自身がしっかりと頂くということ、そして父のようには出来ないかも分からないけれども、表すという、そして伝えていくということ。そういう課題を頂いておるように思うわけなんです。
(ナレ)お葬式で万歳をしたというんですねえ。何と、すばらしいお葬式だなあ、と私は思ったんですが、皆さんはどうでしょうか。
自分の命も含めて全てのものを、神様からの賜り物と受け止めていったお父さんと、その信心を受け継いでいきたい、それが何よりの親孝行でもあるんだと、そういう思いを持った岩本さん。その両方の心がピタッと合ってこそ、こういうお葬式が実現したんだろうと思います。
生まれるのも、生きるのも、死ぬのも、みな神様のおかげの中と、きっぱり言えるほどの安心の境地は、決して空想なんかじゃなくて、人間が実際に到達出来るものなんですね。そのよい実例を、岩本さん親子は、示して下さっているわけです。
実はこのお父さんも、若いころは非常に不平不満の多い人だったそうです。それが、金光教の信心に出合い、お礼を言う稽古に取り組む中で、しだいに感謝の心が育っていったというんです。
小さなことで腹を立てたり、嘆いたり、心配したりしがちな私としては、人生の大きな目標をもらったような気がします。
何十年もかけて到達された境地が、そう簡単にまね出来るはずはありませんけれども、千里の道も一歩から。まずは今日一日、心を込めて、「ありがとう」を言う稽古をしてみようと思います。あなたも、いかがですか。