かんべむさしの金光教案内Ⅳ 第2回


●第2回
「かんべむさしの金光教案内Ⅳ」

金光教放送センター


 おはようございます。「かんべむさしの金光教案内」。先週はまず、幕末から明治の前半という時代に、備中大谷、今の岡山県浅口市金光町で人助けをしておられた教祖さんの紹介をさせていただきました。
 金光教の根本である取次。つまり神と人とを取り次いで、難儀の解決や願いの成就を祈ってくださる。病気や貧困、縁談や商売。それぞれの問題を解決してもらえた人がたくさんいたわけで、中には助けてもらったありがたさから、自分も布教に出て人助けを始めたという、そんな信者さんも大勢おられます。
 そこで今朝はその中の一人、明治時代の初期に大阪へ布教に出てこられた、白神しらかみ新一郎しんいちろうという方のお話をさせていただきます。
 白神新一郎さんは、岡山の城下町で「備中屋」という、藩の年貢米も扱う、大きな商売をしてた家の跡取り息子でした。裕福な家で恵まれた立場ですから、学問も身に付けてたし、書道や茶道も習ってたそうです。ところがその白神さん、家を継いで順調に商売をしておられたんですが、40歳前に息子さんの一人が3歳で亡くなってしまいました。
 おまけに41歳の時には眼の病気を患って、医者よ薬よと手を尽くしたんですけど、とうとう失明してしまったんですね。
 そこでそれからは折りに触れて、人に手を引いてもらいながら、あちこちの神社仏閣に参り、眼病の全快を願い続けたんです。岡山から山を越えて山陰地方、海を渡って四国にも脚を伸ばして、願掛けをされたそうです。
 でも、やっぱり治らないし、その間、大方10年ほどの間に、さらに息子さんが2人亡くなってしまいました。そして時代が変わった明治2年、教祖さんの教えを受けた方が、地元の岡山で布教を始めておられたんですが、縁があって白神さんはその方から、教祖さんのことや、その教えを聞かせてもらいました。
 金光教の教典や伝記には、「神は親で、人間はその子である。神は子どもがかわいいという思い以外、何もない」とか、「人が助かってくれなければ、神も助からない」とか、「どんなことでも遠慮なく願え。神は頼まれるのが役目である」とか、私の好きな、非常に優しい雰囲気の教えが載っております。
 ですから白神さんも、そんな教えを聞かせてもらって、「前代未聞の教えだ。これまで自分が思ってた宗教とは違う」と感激して、たちまち熱心な信者になられたんですね。そしてその翌年には、教祖さんのところに何度も参拝して、信心を進められました。もちろん眼病のことも願ってたんでしょうし、教祖さんも全快を祈ってくださってたんでしょう。そしたらその年の年末に、ぼんやりとながら物の影が見えだして、それをきっかけに、10年越しの眼病が治ったんですね。
 さあ。それで白神さん、大感激も感謝もして、人にもこの神様のありがたさを伝えたいと、見えるようになった眼で、「御道案内おみちあんない」という本を書かれました。学問のある方ですから、「神儒仏、いずれに愚かはなけれども」、つまり「神道も儒教も仏教もそれぞれ良い教えですが、なかでも私が助けていただいた神様は…」という、そんな意味の言葉で始まる簡潔な文章です。書道も身に付けてらしたので、原本の写真版を見ると、御家流おいえりゅうの達筆です。
 そして明治8年、当時としてはもう高齢者である57歳で、商売を息子さんに譲って大阪へ出てこられて、布教所を開かれました。
 参ってくる人の話を親身になって聞いて、難儀の解決や願いの成就を神様に祈ってあげる。そしたらそれが次々に実現する。いわゆる「霊験れいげんあらたか」なので評判になって、東区伏見町の布教所の前には、狭い道に参拝者の人力車がずらっと並んだそうです。
 私、長年の上方落語ファンで、昔の大阪の町の話なんかも好きですので、初めてこのエピソードを読んだ時には、思わず「面白いなあ!」と声を上げておりました。
 そして、この白神新一郎先生の布教所は、のちに西区の立売堀いたちぼりに移って発展し、今も続いてる金光教大阪教会になりました。64歳で亡くなられ、商売をしてた息子さんが跡を継ぐことになったんですが、教祖さんに、「私は何も存じませんので」と不安を訴えたら、「そう心配しなくても、信者には心に浮かんだことを、そのまま言ってやれ。神様がそれに合わせてくださればよかろうが」と、そう言ってもらえたという、これもまた「面白いなあ!」と思った話も残っております。
 というわけで、今朝は子どもを亡くすとか失明するとか、そんな苦難を経て信者になり、のちには徳の高い取次者になられた白神新一郎先生のお話をさせていただきましたが、もちろん、金光教はただ単に人の難儀や願いを解決してくれるだけの宗教ではありません。それをとおして、神の思いに添って生きるということを教えていく宗教で、白神先生は壮年になってからその道を知り、その後、老年に至るまで人助けを続けて、亡くなられたわけですね。偉い方だと、素直に思います。
 はい。それでは来週は、教祖さんの教えに触れて、性格がころっと変わった信者さんのお話をさせていただきます。ありがとうございました。

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