●こころの散歩道
「神様を感じるお年頃」
金光教放送センター
「お母さん、神様っているよね!」
小学4年生の次女が、学校から帰ってくるなり私に話し出したことがありました。
「いったいどうしたの?」
「もえちゃんが神様なんていないって言うの。神様なんて見たこともないし、どこにもいないよって…」
「そうなの…」
「でもね、私は神様はいると思うんよ。だってお父さんやお母さんが私たちのことをいつも神様にお願いしてくれているし、目には見えないけど神様は絶対いると思うんよ」
「そうね、空気や風だって目には見えないけど、その空気があるおかげで私たちは生きていられるからね」
「うん。でも、もえちゃんが神様がいないって言った時、何にも言えなかったの。…神様いるよね?」
「いるよ」。そう言って私は次女を抱き締めました。この子に神様を感じる心が育っていることに感謝しながら。
そう言えば、長男と長女にも同じ頃に神様を感じる出来事があったことを思い出しました。
今は中学3年になる長男ですが、小学4年生のころにラグビーを習い始めました。ラグビーというスポーツは、体と体がぶつかり合うことが多いので、生傷が絶えません。
ある日の練習の後、傷がひどい時に、「大丈夫?」と私が声を掛けると、「大丈夫。ちょっと痛いけどね」と答えました。
「お父さんやお母さんはね、いつもあなたがけがをしないように神様にお願いしてるよ。神様が守ってくれているから、これくらいで済んでるのかもしれないわね。あなたも自分のことをしっかり神様にお願いしないとね」
「うん、分かってる。それよりお母さん、『ワンフォアオール・オールフォアワン』ていう言葉、知ってる? コーチから教えてもらったラグビーの言葉なんだよ。『一人はみんなのために、みんなは一人のために』っていう意味で、ラグビーは仲間を大事にする気持ちが何より大事なんだって」
「良い言葉ね」
「お母さん、僕のこと、いつも神様にお願いしてくれているよね。だから僕もチームの仲間のこと、神様にお願いすることにするよ」
「まあ、それはいいことね。お母さんもあなたや仲間がラグビーでけがをしないように、今まで以上に一生懸命神様にお願いするからね」
「ありがとう!」
けがで痛いはずなのに、それも忘れて笑顔で話す息子の顔を見て、神様にお礼申さずにはいられませんでした。
中学1年になる長女は、幼い頃から体を動かすのが大好きです。今は、テニス部に入って毎日遅くまでの練習で真っ黒に日焼けしています。その長女がやはり小学4年生の時のことです。
その日もいつものように学校から帰って来てランドセルを置くやいなや、「行ってきまーす」とお友達と遊びに出掛けました。いつものことなので、「気をつけて~」と送り出したのですが、その1時間後に電話で娘の事故を知ったのです。公園の遊具から落ちて左手首の骨折、全治2カ月でした。
骨折してからの毎日は不自由なことが多かったと思います。そんなある日のこと、学校から帰ってきた娘が、「お母さん、今日けんた君が私のかばんを持ってくれたんだよ」とうれしそうに話してくれました。同じクラスのけんた君という男の子は、どちらかと言えば普段娘とあまり話すこともないのに、授業で別の教室に移動する時、さりげなく娘の荷物を持ってくれたのでした。
私は娘に、「良かったね、けんた君は骨を折って大変そうなあなたを見て、何とかしてあげたいと優しい気持ちで手伝ってくれたんだね」と言うと、「骨を折って色々と困ることも多いけど、みんなが優しくしてくれるから、うれしいこともいっぱいあるよ。お風呂に入っていて、片手だとこんなに洗いにくいと思わなかった。お母さんに髪を洗ってもらえるのもうれしいよ」と恥ずかしそうに話すのでした。
「私、元気になったら、今までよりももっと、困っている人がいたらお手伝いしようと思う。お母さん、これからもけがをしないように私のこと神様にお願いしてね」
「もちろんよ。あなたのその心、きっと神様も喜んでくれるわよ」
長女にとって、この左手首の骨折は、人の思いやりやそれまで出来ていたことが決して当たり前ではなかったことに気付く良い機会となりました。
「ただいま」。元気な声で次女が帰ってきました。
「お母さん、今日ね、もえちゃんに『神様はいると思う』って言ったよ」
「そう、それで、もえちゃんは何て言ったの」
「私がそう言うなら、神様はいるかもしれないねって」