●先生のおはなし
「川を渡る」
金光教静岡教会
岩﨑弥生 先生
「はあ~」
深いため息が病院の待合室で、聞こえます。若いお母さんが、2歳くらいの男の子をひざの上に抱え、疲れた顔をしていました。
「僕、どうしたの? 風邪引いちゃったのかな?」
ため息が気になり、話しかけてしまいました。「僕」の代わりにお母さんが答えます。
「中耳炎なんです。もう何度もかかっているんです」
少し強い調子で「何度も」と言いました。「そうなんですか。大変ですね」と私が答えると、誰かに聞いてほしかったのか、続けてこう話してきました。「初めて中耳炎になった時、主人が出張で留守だったんです。夜中に急に泣き出し、おなかが痛いのか、頭が痛いのか、それとも虫に刺されたのか、ただただ大声で泣くばかりで。その時は主人の転勤でここに引っ越したばかりで、地理も分からず、知り合いもいなくて、私も一緒に泣きたくなりました。泣き疲れて子どもも私もそのまま寝てしまい、次の日、病院に行き中耳炎と分かったのです。その後も風邪を引いたかな? と思うと中耳炎になってしまって」と言って、またため息をついていました。その姿を見て、私は自分の子育ての時のことを思い出しました。
10年前のその日、私も先ほどの若いお母さんと同じように、病院の待合室で3歳になった息子をひざに乗せ、ため息をついていました。私たち夫婦は、すぐに赤ちゃんが欲しかったのですが、なかなか恵まれず、3年目にして授かった子どもでした。今思えば三年は短い方と思えますが、授かるまでの3年間は長い長い日々でした。ですので、子どもを授かった時は本当にうれしく、神様から頂いたと心から思え、感謝の気持ちでいっぱいでした。生まれてからは順調にすくすく成長しておりましたが、そのころは風邪ばかり引いていました。
「今月はこれで3回目だな~」。病院にかかった日を指折り数え、ため息が出てきました。「どうしてこう病気ばっかりするのかなあ…。もう元気になったのかと思って、昨日外で遊んだのがいけなかったのかな? それとも、布団をけ飛ばしていたから…」。そんなことを考えていると、息子が余計にぐずぐず言い出し「少し我慢しなさい」と、つい怒ってしまいました。
「岩崎さん!」と呼ばれて診療室に入り、経過を報告しました。お医者さんが聴診器を胸に当て「ちょっと、ぜこぜこしています。ぜんそくを起こしていますね」とおっしゃいました。「やっぱり…」。私が余程がっかりした顔をしていたのか、お医者さんが紙を取り出し、話をしてくれました。
「お母さん、子どもが病気になることは悪いことではないんですよ。生まれたばかりは、お母さんからの免疫がありますので病気になることはあまりありません。でも、だんだんにその免疫が無くなり、色々な菌に感染し病気にかかるようになります。無菌室の中に閉じ込めているわけにいかないのですから当然です。自分のことを振り返ってみて下さい。小さいころはよく風邪を引きましたよね、でも最近はめったに引くことはないでしょう。そうやって、病気になりながらたくさんの免疫を作っていくのです」
お医者さんが紙に何本もの線を横に引きました。「お母さん、病気になるということは川を渡るようなものです。簡単に一またぎ出来る小さい川もあるでしょう。もしかしたらおぼれそうになる大きな川もあるかもしれません。それらたくさんの病気の川を渡って抵抗力を付け、丈夫な体を作っていくのです」と言って、紙に書いた何本もの線で出来た川を指して教えて下さいました。
そして「だから、病気になるのは悪いことではありません。その病気にどう向かうのかが大事なのです。なるべく早く信頼出来るお医者さんに掛かり、処置していただく。そして何より大事なのは、お母さん、あなたが子どもと一緒に川を渡ることです」「一緒に川を渡る?」「そうです。お母さんが一緒に、です。眠れない夜は、手をつないでそばにいてやる。痛い時にはさすってやり、苦しい時にはニッコリ笑って『大丈夫だよ』と言って抱きしめてあげる。そのことが一番の治療なのです。小児ぜんそくは厄介な病気ですが、治る病気です。一緒に川を渡って行きましょう」と言って下さいました。
私はその話を聞いて胸のつかえがスーッと取れて、目の前が明るくなった気がしました。「神様がこのことを通して、私たち親子にたくましく育ってほしいと願って下さっているんだ」と感じました。病気になるのが悪いんじゃない。どう向き合うか。そして一緒に川を渡る。今まで暗い顔をして子どもに接していたこと、思うようにならないことにいらだっていた自分を反省しました。気持ちが前向きになり、しっかり病気に向き合うことができました。
その後、私たち親子は何度も病気の川を渡りました。ぜんそくが悪化し入院したこともありましたが、その都度、あの時のことを思い出し、手を取り合って川を渡りました。おかげさまで、お医者さんの言った通り、小学校を卒業するころには、ぜんそくの発作を起こすこともなくなりました。そして今では、ラグビー部に入り身体もたくましくなり、雨の中の練習をしても風邪一つ引くことがなくなりました。
この話を若いお母さんに話すと、少し明るい顔になり、子どもをぎゅっと抱きしめ、お辞儀をして診察室に入って行きました。
改めて私自身10年前を思い出し、病気の時だけじゃない、今までどれだけ子どもに歩幅を合わせ、一緒に手を取り合って歩いてこれたかな、と思わされました。