シリーズ「あなたへの手紙」第3回「①ちょっとしたことでイライラする/②どうして信心するのか」


●あなたへの手紙
第3回「①ちょっとしたことでイライラする/②どうして信心するのか」

金光教放送センター


 おはようございます。三重県にあります金光教松阪新町まつさかしんまち教会の水野照雄みずのてるおと申します。よろしくお願いします。

 最初は、匿名希望35歳の男性の方です。
 「私は、ちょっとしたことでイライラしてしまう性格なんです。イライラするだけならいいのですが、収まりがきかず、自分の物を壊してストレス発散してしまいます。このちょっとしたことでイライラする性格を直したいのですが、どうしたらいいでしょうか?」
 このようなお悩みです。

 ね、厄介ですよね。自分の心なのに、自分の思いどおりにならなかったり、ついカッとなってしまったり。
 でも、「イライラする性格」と言われるのも、一面、完璧主義であったり、しかも早く結果を出すことを求めたりと、そういうところが、匿名さんご自身の中にあるのではないですか? もしそうだとしたら、それは、決して悪いことばかりでもなくて、仕事の上とかでプラスに働いている場面もあるように思うのです。
 なので、この性格という多面的でややこしい問題は置いといて、まず自分の物を壊してしまうというところから考えてみたいと思うんです。
 匿名さんの場合、自分の物を壊しているんですよね。人の物を壊したら、それこそ犯罪ですけど、自分の物なら、まあええじゃないかと言えなくもない。誰に迷惑をかけている訳でもないのですから。
 で、今日のお悩みは解決しました…とはならないんですね。それはそうだろうけど、でもね…というところが、実は大事なんだと思います。
 そこで、一つ提案があります。「怒りの家計簿」。あるいは「出納すいとう帳」。そんなものをつけてみてはどうでしょうか。まず表を準備して日付。次に怒りの対象・原因。何で腹が立ったか。そして、その怒りの大きさ。どれぐらい腹が立ったのか、主観でいいので数字にしてみます。で、今度は壊した物の価格。いくらで買ったか、その値段。それと価値。これは匿名さん自身の思い入れを含めた値打ちを記入します。最後に、その収支を差し引きするわけです。壊してしまった物の値打ちと、怒りの大きさを比較して、損をしたか、仕方ないと思えるか、プラスマイナスの数字にしてみるのです。
 もちろん、腹が立っている最中には無理でしょう。一段落して心が落ち着いてからでいいので、振り返ってみてはどうかと思うのです。
 そんな面倒くさいこと、と思われるかもしれません。でも、やってみる価値はあると思います。しばらく続けてみると、そのうちに、何か心に変化が起こってくるのではないかと期待しています。すぐには難しいかもしれませんが、きっと。よろしければご報告をお待ちしています。

 次は、42歳の男性、堺さんという方です。
 「妻は、子どもの頃から金光教の教会に家族で参拝している。私も妻と一緒に教会に参拝しているが、次のようなことが気になっている。
 妻は、願っていたことがうまくいけば、神様のおかげと言い、失敗すると、自分の信心が足りないからと言う。そんな妻の様子を見ると、どうして信心するのか分からなくなってくる」
 このようなご相談です。

 堺さん、奥様とご一緒に教会へお参りいただきありがとうございます。まず感じたのは、いろんなことをちゃんと話し合うことができている。そんな良い関係のご夫婦なんだろうなということです。
 それから、堺さんご自身が、金光教というか、信仰ということにあるしゅの期待を持ってくださっているということも感じました。
 で、お尋ねの内容ですが、うまくいったら神様の手柄、失敗したら自分の責任、それではつまらんじゃないかと、こういうことでしょうか。「あまりにも自己否定的というか、もうちょっと自分の努力を認めてもいいんじゃない?」という、奥様への思いということかもしれません。
 なるほど「信心が足りない」と言われると、確かにそんなふうに感じられるかもしれません。でも、言葉はそんな感じですけど、その意味は、それほど神様一辺倒でもないと思うのです。
 神様にお願いしても、うまくいくこともあれば、いかないこともある。これはもう実際問題、そうです。だったらお願いしてもしなくても同じやないか、とは、信心している人は考えません。うまくいったかどうかというのも大事ですが、それと同じくらいか、場合によってはもっと大事になってくるのが、そこに何かあるという感覚です。
 例えばうまくいった時、自分も頑張ったけど、よくよく考えてみると、その努力が報われるような何か、あるいは自分の頑張りを超えた何かがあるように感じる。
 逆にうまくいかなかった時には、自分は努力したけど報われなかった。でも、その事実の中に何かがある。自分が気付かなかった足りない点があるのかもしれないし、後になって振り返れば、このほうが良かったと思えるのかもしれない。
 奥様は、そうやって起こってくる出来事の中に、神様のメッセージを受け取ろうとしておられるのではないかと思うのです。
 そして、これは仕事や勉強、何でもそうですが、人は失敗からこそより多くを学ぶことができます。とすれば、うまくいかなかった時にこそ、そこに大切な何かが見付け出されるはずで、奥様が「信心が足りなかった」と言われるのは、単に否定の言葉ではなくて、もっと何かがあるはず、もっとそれを知りたい、求めたいという、とても前向きな信仰しんこうの表明だと思うのです。
 ちょっと固くなってしまって申し訳ありません。
 堺さんご夫婦にとって、これからも教会が良い場所でありますように。そして、ご夫婦の教会参拝が、お二人の人生にとって良い経験となって積み重ねられていきますようにお祈りいたします。

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