●信心ライブ
「あなた任せではいかん!」
金光教放送センター
(ナレ)おはようございます。
今日は、大阪府・金光教鳳教会の教師、工藤和也さんが、令和元年十月に岸和田教会でお話されたものをお聞き頂きます。
工藤さんは、金光八尾高校で非常勤講師として31年間宗教の授業を教えました。けれども元々は、金光教の教会での御用以外の仕事に就くことに、迷いがあったそうです。
(音源)学校の理事の先生が、わざわざ私とこの教会へ来て下さいまして、正式に宗教の教員として勤めてもらえませんかと依頼がきました。でその時にも未練が、学校の先生という未練があるけども、いやっ、一生お道の御用にと、こういう気持ちもあったんでこう、どうしょうと、ちょっと迷ったんですね。迷ってま、いよいよ自分の人生の岐路かもしれへんと、そういう気持ちになって、その決定を金光さまに決めてもらおうと思ったんです。
(ナレ)金光さまというのは金光教の教主のことです。本部は岡山県にあります。
(音源)ご本部にお参りをして、その当時は四代金光さまでございましたが、四代金光さまの所へ。いつでも岡山弁で、そうじゃのうそうじゃのう、こういうふうに優しい~教主です。その教主の元へ行って、来年度の宗教の教員というお話を頂いたんですが、どうさしてもらいましょう?そう聞いたんですね。すると、それまでニコニコしてた教主さまが、「ん~っ!」いきなり大きな声を出されて叱られました。あの教主が、あんな声出すんやと。ビックリしてもう、ははあとなってしまってから、そっから三十分ぐらいお話して下さいました。後にも先にも四代金光さまから三十分も、み教え頂いたんは、その時限りです。
要点が三つ言われました。一つ目が、「願いを持つことが大切です」というお話でございました。「どうしましょうこうしましょう?あなた任せではいかん!」こういう、ま叱り方だったわけです。その、願い通りのおかげを頂くかどうかはわからんけれども、願うということがまずあって、自分はどうしたいんだという願いをしっかり持って、そっからどうなっていくか神様任せの部分はあるかもしれない。
「どの御用も神様の御用です」と。御用の平等性やな。金光教の教師、教師だけが神様の御用してるわけちゃうぞ、こういうことでございました。えーサラリーマンは、サラリーマンの御用、家庭の主婦は主婦の御用、これも神様から頂いた御用やと。で教主さまが「私も神様から、教主という御用を頂いております」とこう言われました。で私の中では教主さまが一番で、生きてる生き神様感覚ですよね。で、その下に、教会の先生方、親先生やら先生方がおられて、でご信者さんがおられて、未信奉者のかたがおられてと、こういうピラミッド型を考えてたんですね。でその一番頂点が教主だったわけです。私の考えではね。違う!と。神様があって、みんな平等である、それぞれに御用を頂いてる。という考え方。私のそのピラミッド型を大きく否定されました。その通りです。でもまだ世間知らずだったんでしょうねー。わかってなかった。
そしてもう一つ。ただし!や、「身に応じた御用がございます」と。これは具体的に、えー年配のかたに、御用だから、神様の御用だからといって、重たい荷物を、はい神様の御用!そういうわけにはいかんわな。人それぞれに応じた仕事がある。平社員、えー昨日えー、会社に勤めたばっかりの子に、あんた明日から社長、こういわれても、社長の御用はでけへんわね~。仕事の中身わからへんはね~。社長は社長の御用がある、平社員は平社員の御用がある。それぞれ身に応じた仕事がある、御用がある。こういうことですね。
そして最後に「おまえはどういう願いを持つんじゃ?」こう改めて言われました。そこまで諭されると、「来年度の金光八尾高校の宗教の教員として勤めさせて頂きたいと思います」と。そういう願いを持って金光さまにお届けをし、そういう思いで学校へ勤めるようになりました。
(ナレ)いかがでしたか?
工藤さんは、迷っていた気持ちを素直に、金光さまに話したところ、金光さまから色々なことを教えて頂き、大切なことに気づかされ、自分の進むべき道が決まったようです。
進むべき道を金光さまに決めてもらうという「あなた任せ」ではなく、工藤さん自身で考えて願いを持つことができました。願いが定まりましたら、神様へのお願いもしやすくなって、神様に導かれ、良い方向に進んでいきました。
私も迷ったり悩んだりした時、教会の先生に打ち明けて、気づきを頂くことがよくあるのです。こころも落ち着いてきます。