仕事


●先生のおはなし
「仕事」

滋賀県・金光教湖北こほく教会
井上宗一いのうえむねかず 先生


(案内役)おはようございます。案内役の岩﨑いわさき弥生やよいです。今朝は、滋賀県金光教湖北こほく教会・井上宗一いのうえむねかずさんのお話をお聞きいただきます。タイトルは「仕事」。

 私は金光教の教師になり30数年が過ぎ、現在58才。そんな私の15年前の出来事から聞いてください。
 その頃、私の娘は中学2年生でした。その娘から厳しい一言を浴びせられました。
 「お父ちゃんがちゃんと働けばいい」
 仕事をしているつもりの私は、「この子は、自分が言った事が分かっているのか?」と、娘の一言に一瞬、戸惑いました。
 その時の娘は、周囲の変化に戸惑っていました。当時はまだスマホはありませんでしたが、中学生も携帯電話を持つ子が次々と増えていました。夏休みが終わり学校へ行くと、携帯電話を持つ同級生が増えていて、友達同士がメールのやりとりをする特別な輪が広がっていたのです。娘は、その見えない輪の中に加われませんでした。
 前から、欲しい欲しいと言ってましたが、状況が一変し、みんな持ってると言い出しました。
 「AちゃんもBちゃんも、みんな持っている。持っていないのは私だけ。なんであかんの?」
 私は「テレビゲームを買うのと携帯電話を買うのとでは、訳が違う。携帯電話を買えば、毎月支払わなければならないお金が必要なんだよ。あなたの携帯電話に毎月お金を支払う余裕は、この家にはない。だから買わないものは買わない」と、説得をする私に向かって言った娘の一言が、「それならお父ちゃんがちゃんと働けばいい」だったのです。
 夕食後のリビング。時が一瞬止まったように静まり返りました。娘も「しまった」と思ったかもしれません。
 私は口を開きました。
 「あなたの言う働くってどういうこと?」と言うと娘は、「ネクタイをして仕事場に行くこと」と言います。
 「金光教の教会であれこれしているのは働いていないのか?」と私が言うと、「おじいちゃんは頑張って働いているけど、お父さんは違う」と娘は言うのでした。
 教会長であるおじいちゃんの仕事をサポートするのが、私の仕事でした。おじいちゃんの仕事がただただうまく行くために、毎日働いていました。掃除はもちろん、庭の手入れ、家やモノの修繕を始め、支払いが終わった大量の領収書の整理など、おじいちゃんの苦手なややこしい業務などなど。
 娘の友だちからは、父親ではなく雇われた使用人だと思われていたほどです。作業服で働くことがほぼ日課でしたが、娘にすればそれは「仕事」ではなかったようです。
 私は娘とのやりとりにショックを受けながらも、ずっとそのことが心の隅に残っていました。
 その後、ある機会に、私のこの体験を金光教の先生方に聞いていただきました。
 先生の一人は、「金光教の教会の教会長を支える役割は、教会にとって大切な仕事であり、さらに教会をきれいに保つことは、神様のお働きをサポートすることにつながると思われる、必要な仕事である」と言ってくださり、ただただ雑用に追われる日々を送るような私の姿も、金光教の教会にとって大事な仕事なんだ、と話して下さいました。
 またある方は、「金銭を伴う就労のみが仕事ではないのではないか」と、別の視点を与えてくださいました。
 思うに、家事や子育ては、仕事というのも語弊があるのかもしれませんが、命を支え育む尊いお仕事と思わずにはおれません。夫婦共働きが当たり前の時代に、いわゆる家事や育児を専業とする働きは、仕事をしていないように受け取られがちなところがありますが、お給料こそ受け取らないものの、夫婦でそれぞれの働きを支え合う必要な就労のカタチであり、まさにプライスレス。とりわけ子育ては未来を託す尊い仕事と感じられます。
 このように先生方のありがたいお言葉を頂き、私も自分のこれまでの仕事に対する誇りを、改めて持つことができました。
 あれから15年。
 娘は2人の子を産むという大仕事を果たし、その子たちは「ジイジ」と言って私と遊んでくれます。娘は現在、専業主婦。幼い二児の母として、そして妻として、自分の務めに日々格闘し、奮闘し、その尊い仕事に喜びを感じています。

(案内役)いかがでしたか。今日のお話で、「仕事」という意味を、私も改めて考えさせられました。ある哲学者は、山村では「仕事」とは、村を守るために自然と関わって、山林や田んぼの手入れ、山道や水路の整備をすること。「稼ぎ」とは、「出稼ぎ」と言いますが、現金収入を得ること。そんなふうに使い分けていると聞きました。
 稼ぐことも生きていく上で大切なことですが、天地のお恵み、神様の働きに感謝し、天地の道理に沿った生き方を教え導いていく教会を守っていく営みは、まさに山村で言われている「仕事」になるわけです。いのちをつないでいく子育てもそうでしょうし、家庭の営みを続けていく家事も大切な「仕事」となるわけです。
 15年の時を経て「仕事」に向き合う親子の姿が、語られていました。

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