●信心ライブ
「私がポジティブになった訳」
金光教放送センター
(ナレ)おはようございます。
今日は、大阪府・金光教金岡教会にお参りしている横山夕夏さんが、平成29年秋、大学2回生の時に教会でお話しされたものをお聞きいただきます。
(音源)私と金光教との出合いは、私の父方の祖母にあります。祖母は現在、父の故郷の愛媛県新居浜市で過ごしていて、夏休みやお正月には家族で新居浜へ会いにいきます。毎回私たち家族が帰ってくると、「よく帰ってきたね」と無事に帰ってきたことをとてもうれしそうに喜んで迎えてくれます。
そんな祖母は、毎朝4時に起きて、5時から始まる朝のご祈念に参拝しています。また、大阪にいる私たちによく電話を掛けてきて、台風や地震があった時はいつも心配して、電話で「何事もなかったか」と連絡してくれます。私が教会へ行ったことを電話で報告すると、「ありがとう」と、とても喜んでくれます。
金岡教会には、小さい頃から父に連れられ、休みの日に参拝していました。教会は、「神様と一番近い距離にいられる場所」と思っていました。そして、教会に参拝し、願い事を教会の先生にお届けすることで、いつかきっとその願いがかなうと思って教会に参拝していました。
そう思っていた私が小学生の時、父方の祖父が重い病気になって入院してしまいました。私は教会に参拝した時、「おじいちゃんの病気が良くなりますように」とお祈りしていました。しかし、その願いはかなわず、祖父は帰らぬ人となってしまいました。その時私は、教会に行ってあれだけお願いしたのに、願いがかなわなかったので、「教会に行ってお願いしても、何の意味もない。神様なんていないんだ」と思うようになってしまいました。
それから大学に進学し、2年が経ちました。大学に入ってから、高校生の時よりたくさんの人たちと巡り会えました。その中で、私の神様や教会に対する考え方が変わった出来事が起きました。大学生活でのある日、友達から、「嫌なことがあっても、ポジティブに捉えるよな」と言われました。私は、友達にそういうことを言われるまで、自分がそんなに物事をポジティブに捉えているなんて気付きませんでした。確かに私は、嫌なことがあると、最初は落ち込んだり腹を立てたりしますが、少し時間が経つと、「嫌なことだったけど、別の意味で考えると、結果的に良かったのかな」と思うことが多々あるように思いました。
そんな出来事があった後、今年の秋に、私の祖母が交通事故で利き手の右手を骨折してしまいました。普通に考えると、骨折が良いことか悪いことかといえば、悪いことだと思います。ところが、私が容体を心配して電話を掛け、「手、大丈夫」と聞いたところ、私の祖母は、「右手の骨折で、いつも当たり前にできていたことができなくなり、当たり前に使えていた右手のありがたさが分かった。神様が、これまで毎日健康に生きてこられたというありがたさを伝えてくれた」と、骨折に対する不平や不満を一切口にせず、右手の骨折に対して感謝の言葉を口にするのです。
このように祖母は昔から悪いことが起きても、その悪いことに対して文句を言わず、感謝の心を忘れずに、マイナスな考えからプラスの考えに変えていたような気がします。
そして、祖母だけに限らず、父も母も悪いことをプラスの考え方にすぐ変えてしまい、嫌だったことをすぐに忘れてしまいます。そんな環境の中で育ってきたので、私は嫌なことがあっても、考え方をプラスに変えることは、私の中でごく自然なことになっていると思います。
このようなことから、私の教会の印象は、小さい頃の「神様にお願いをして、願い事をかなえてもらう」ということから、いつからか、「何事にも感謝をする心、ありがたさを感じることができるように、何か手掛かりを与えてくれる場所」なのではないかと思えるようになりました。
嫌なことがあっても考え方を変え、その中でありがたさを見付け出すことや、感謝の心を持つことで、少しでも幸せな気持ちになれるし、心穏やかになれたらいいなと思います。
いつか祖母や父母のように、当たり前のことでも、その当たり前がたくさんの人や物に支えられているということを忘れず、何事にも感謝の気持ちを持って生きていける、そんな大人になりたいと思っています。
(ナレ)いかがでしたか。
夕夏さんは、日々おばあさんや両親の祈りと、感謝を中心にした生活の中で育ちました。その中で、知らず知らずのうちに、友達からも認められるほど、ポジティブな生き方になっていたことに気付きました。
金光教の教会では、神様のおかげに目覚め、お礼と喜びの生活を進めていく生き方を教えてくれます。
何事にも感謝する心を生み育て、周りの人々もポジティブになれる。そんなありがたい環境づくりの一員になりたいものですね。