●ラジオドラマ「毎度ご乗車ありがとうございます。」
第5回「ちょっと一服」
金光教放送センター
登場人物
・実(サラリーマン) 50歳
・妙子(実の妻) 50歳
・祖父(故人)
(ナレーション)
ただ今より皆様を7分間の列車の旅へご案内致します。それでは出発です。(電車の出発音)
(小鳥のさえずり)
妙 子: (遠くから)あなたー、出掛けますよー!
実 : ああ、今一服してから。
妙 子: 列車の時間に間に合わなかったらどうするの。早く、早くー。
実 : 朝の縁側での一服、このうまさ、たばこを吸わないやつには分からんだろうなぁ。さて、今日も頑張ろう!
(ナレーション 実)
今日は、妻と一緒に地方の親類の家の農作業を手伝いに出掛ける日である。いつものようにたばこを吸いかけ、時計を見上げ、家内の言う通り時間が無いと知った私は、慌ててたばこの火をもみ消し、庭に捨てるや玄関へ向かった。
実 : おーい、待ってくれー。
(駅へ向かう)
(子どもたちの声)
実 : おい、ちょっと、見てみろ。
妙 子: 何ですか?
実 : あれは家の近くの小学校の生徒たちじゃないか。
妙 子: 道端に投げ捨てられたゴミを拾ってせっせと袋に入れている…。
実 : 吸殻も拾っている。子どもたちに拾われては立つ瀬がないな。
妙 子: それでも禁煙しようとは思わないの?
実 : それとこれは別。俺は道路に吸い殻をポイするようなマナー違反はしない。
(列車の走行音)
実 : (念を押すように)ここは禁煙車だよな。
妙 子: 当たり前じゃないの! 吸いたければ隣の車両に喫煙ルームがあるから。でも少し辛抱できないの。
実 : いやあ、今朝、時間がなくてゆっくり吸えなかったからなあ。
妙 子: もう…。
実 : ではちょっと失礼して…。どうも近頃は、たばこが吸いづらくなったもんだ…。
(田園地帯)
実 : いい気持ちだなぁ。青い空、広々とした畑―。うーん、空気がおいしい。キュウリも茄子も大きく育ってピカピカ光っている。うまそうだなあ。今夜はもろキュウと茄子の天ぷらでビールだな。さァ、刈り取るぞー。
妙 子: あたしたちって、いいとこ取りなのね。雑草を引っこ抜いたり、害虫の退治なんかは、お義兄さんの家族に任せきりだし、1年にたった数回のことだから、一生懸命お手伝いしなければ。おいしいお野菜が、ただで頂けるんですもの。ヤッホー!
実 : ちょっと、「ヤッホー!」ていうのは山で叫ぶ言葉だぞ。
実・妙子: ハッハッハ…。
実 : さぁ、そろそろ始めよう。
妙 子: はーい!
実 : ここに来ると、なあ、おじいちゃんのことを思い出すんだ。もう40年も昔のことだけど、俺は夏休みには決まって手伝いをしに来てたんだ。…あ、そう言えばおじいちゃんは、作業を始める前にも後にも必ず畑に向かって手を合わせていたなぁ。
妙 子: 畑に向かって? どうしてなのかしら…。
実 : さあ、どうしてだったかなあ。おっ、大きなキュウリだ。
妙 子: この茄子もおいしそう。
(ナレーション 実)
お蔭で収穫作業は順調にはかどり、夕方には用意した籠に野菜が一杯となりました。私はホッとして、畑の脇に腰を下ろし、煙草に火をつけました。
実 : あー、うまいなあ! ひと仕事終わった後のたばこはサイコー!
妙 子: あなたー。列車の時間に遅れるわよー、先に行くわよー。
実 : ま、待ってくれー。
(ナレーション 実)
私は吸っていた煙草をそのまま畑に投げ捨て、妻を追いかけようとしました。その時、
祖 父: おまえの灰皿は大きいのう。
実 : えっ?
(列車の走行音)
妙 子: どうかしたの? 疲れたの?
実 : いや…
妙 子: じゃ、どうしたの?
実 : 聞こえたんだ。畑でおじいちゃんの声が…、「おまえの灰皿は大きいのう」って。
祖 父: (厳かに)大地というものはどんなに汚いものであっても、文句一つ言わずに黙って受け止め、包み込んで下さっている。全てのものの生命を宿し、育んでくれる神様のお体のようなもの。その大地に抱かれている私たち。有り難いのう…。
実 : そう、そうなんだ! だから手を合わせていたんだ。ごめんなさい、おじいちゃん…。
妙 子: あなたのおじいさまのお気持ち、私にもよく分かりました。
(ナレーション 実)
私は、畑に手を合わせていた祖父の姿を思い浮かべ、大地に感謝して生きてゆかなければと、心の底から思ったのでした。
(小鳥のさえずり、朝の光景)
妙 子: あなたー、会社へ出掛ける時間ですよー。
実 : ちょっと一服…。あっ、吸殻は灰皿に、と。ね、おじいちゃん!