●先生のおはなし
「マスクの下の笑顔」

金光教上山田教会
池田美枝 先生
(ナレ)おはようございます。パーソナリティの大林誠です。
最近、私もマスクを付けることが多くなりました。でも、体を動かす仕事の時は、息苦しいですよね。マスクを外せないお仕事の方は、ほんとに大変だろうなと思います。今日は、そんな一人、ある保育士さんのお話をお聞き頂きます。「マスクの下の笑顔」というお話。福岡県、上山田教会の池田美枝さんです。
(本文)私は保育園で働いています。0歳児を担当し、体力的には大変ですが、かわいい子どもたちに囲まれて、充実した毎日を過ごしています。
季節の変わり目には、体調を崩し気味で登園する子も多くなりますので、私もマスクをつけることが以前からよくありました。マスク姿を怖がらないように、子どもたちが喜ぶようなイラストをマスクの表面に描いています。子どもたちは興味津々でマスクを引っ張ります。「引っ張らないで」と言いながら、その頃は、かわいい手で触られるのが楽しくもありました。
しかし、「新型コロナウイルス感染症」のことを毎日耳にするようになると、しだいに私の心からゆとりが失われていきました。「マスクを引っ張らないで」という声が、厳しく冷たくなっていくのが自分でもわかりました。そのうえ、感染予防を徹底するためにゴーグルまで付けなければならなくなり、ますます気持ちに余裕がなくなっていきました。
子ども達に優しく接してあげたい気持ちはあっても、笑顔が出て来ないのです。そんな自分がつくづく情けなく思えました。その一方で、情けない顔をしていてもマスクで見えないし、無理に笑顔で過ごさなくても0歳児にはわからないのでは、なんて思いにもなりました。
0歳児のクラスには、毎月、新しい赤ちゃんが入ってきます。1か月くらいでやっと慣れてきたと思ったら、そこへまた、新しい赤ちゃんが入ってきて、大泣きするのです。私まで泣きたい気持ちになることが度々でした。
けれども、必死に泣き叫ぶ赤ちゃんをあやしているうちに、ふと、この子にとって私はどう見えているのだろうかという思いが頭に浮かびました。生まれて初めて親から引き離され、ゴーグルにマスク姿の保育士に預けられるのです。無力な赤ちゃんにとって、それはどれほどに恐ろしいことでしょうか。私たちおとなには想像もつかないほどの恐怖に違いありません。そう思うと、その子がかわいそうで、愛しくてたまらなくなり、思わず胸に抱きしめていました。
その日の夜、神様に拝礼していると、金光教の教祖が遺したこんな教えを思い出しました。
「かわいそうと思う心が、そのまま神である。それが神である」
泣いている赤ちゃんを見て、かわいそうに、早く安心させてあげたい、と思ったのは私です。ところが教祖はその思いを「そのまま神」「それが神」と教えているのです。
「あの時の私の思いは、神様のお心だったのかも。神様は、ずっと私の内側から働きかけてくださっていたのかもしれない。マスクの中でいつも情けない顔をしているこんな私に、どうかこの子を助けてやってくれと頼んでくださっていたのでは…」
そう思うと、じんわり胸が熱くなるのを覚えました。
保育園での仕事は相変わらず目まぐるしい忙しさです。けれどもその日以来、同じ仕事もあまり苦痛に感じなくなっていきました。むしろ、「今日も神様がこうして私を使ってくださっている」と思うと、うれしい気持ちで取り組めるのです。あれほど嫌だったマスクやゴーグルも、私や、私の腕の中にいる子どもたちを守ってくれるありがたいものに見えてきました。
笑えなかった私が、今では、マスクやゴーグルがずれるくらい笑う日もあります。私の笑顔が子どもたちの安心につながり、子どもたちの安心がまた、私の喜びになるという、すてきな循環が生まれてきたようです。
お天気がよければ、午前中は、全園児が園庭に出て遊びます。4歳のショウくんはミチコ先生が大好きで、1日に何回も「ミチコ先生、だ~い好き」「ミチコ先生と結婚する」という声が聞こえてきます。そのショウくんが、ある日、私の前に来て「先生、大好き」と言うのです。一瞬、人違いじゃないの?と思いました。でも、ミチコ先生と私は全然違う体型をしているので、ゴーグルとマスクで顔が見えなくても、ショウくんが見間違うはずはありません。
「ショウくん、私も大好きよ」と返したら、ニコッとして走り去っていきました。私自身、変われたのだと実感しました。ショウくんはいち早くそのことに気付いてくれたのでしょう。
走り去ったショウくんが、シロツメクサの花束を手に、また私の前にやって来ました。「ありがとう」と言って受け取ると、「結婚してください」と言って走り去っていきました。ミチコ先生にはこのことは言えないなって、マスクの下でニヤリとしてしまいました。シロツメクサの花束は、神様からのご褒美だったのかもしれません。
(ナレ)いかがでしたか。
池田さんは、かわいそうにという気持ちを神様からのお頼みと受けとめて、仕事に取り組んでいきました。神様が期待してくださると思えば、元気が出ますよね。それに気付くためにも「かわいそうと思う心はそのまま神」という教えを、いつも心に留めておきたいと思います。