ごめんね


●こころの散歩道
「ごめんね」

金光教放送センター


 今日は、大きな商談が決まる大事な日。ここ数日、その準備に追われて、心身共にクタクタだった。
 気合いを入れて出勤しようとすると、カッターシャツが無い。イライラしていると、アイロンを当てている妻の姿が目に入った。私は、「何してんねん! 今頃!」と怒鳴った。すると妻は、「ごめん。昨日は子どものことでいろいろあって…」。言い終わるか終わらないかのところで、「もうええ! 貸せ!」と奪い取るようにして、カッターシャツを着て駅に急いだ。妻の頬に一滴の涙が流れていた。

 自転車のペダルをこぎながらも、怒鳴ったことが気になって仕方がない。妻の涙も気になる。胸に浮かぶ反省の思い。妻は今妊娠していて、上の子はまだ2歳。
 「自分には体験出来ないけど、お腹に子どもがいるというのは、並大抵のことじゃないし、同居している両親の面倒だってあるというのに…」
 「アッ! 商談先に持っていく手土産を忘れてしまった。でも、まだ急げば取りに戻る時間はある。家に帰るか! でもどうしよう、妻にどんな顔をすればいいのかなぁ」
 一瞬戸惑ったが、「反省した心そのままで、自分に素直でいこう」と思い直した。
 急いでペダルを踏んで家に戻った。ところが玄関の前に来ると、「謝るのか。男の沽券こけんにかかわらへんか。あれだけ怒鳴っておいて…」と、もう一人の自分が言う。でもその言葉に負けじと玄関を開けると、妻がいた。
 心の中で「神様!」と祈りながら、「さっきは僕が悪かった! ごめん!」と頭を下げた。妻も「私こそ…段取りが悪くって…ごめんなさいね」と言ってくれた。
 お互いの心が晴れ晴れとなって、私は商談先へと向かった。

 実家の母から電話がかかってきた。聞くと、カレーショップを営んでいる弟夫婦が「離婚したい」と言ってきたと言う。「またか!」と思った。実は弟には浮気がばれたことが過去に数回あり、その都度もめることになった。今回も兄として説得に行ってほしいというのだ。
 さっそく、両親を車に乗せて弟の家に向かうことにした。出発前に妻が「2人の話をしっかり聞いてあげてね」と言った。「ありがとう。それ大事なことやな」と言って出発した。
 到着すると、すでに夜10時を過ぎていた。それでも弟の3人の幼子は心配で寝られない様子で起きていた。
 私はまず、義理の妹の話を聞いた。すると「私が悪いんです。最近、主人に、女の人からよく電話が掛かってくるので、浮気をしているんじゃないかと疑ってたんです。以前のことがあるので、私もちょっとしつこく聞いていたら、2人の間がギクシャクしてきたんです。そうしたら仕事も手に付かなくなってきて、お客さんの注文を間違えて聞いたり、レジでの計算を間違えたりすることが多くなって…。それで、夕べも何回も間違えていたら、主人の堪忍袋の緒が切れて『出て行け!』って、頭からコップの水をかけられたんです。それで私も売り言葉に買い言葉で『実家に帰る!』と言ってしまったんです」ということだった。
 それからあれこれと、彼女の話を何時間も聞かせてもらった。彼女は「お兄さんありがとうございました。私の話を聞いて下さって…」と言ってくれた。
 次に弟とも話し合った。その第一声が彼女と同じ、「俺が悪いんや…」であった。それでも弟の方からは謝れないと言う。一度上げた拳は下ろせないのである。そこでまた弟の話をとことん聞いた。
 
 そうこうしているうちに夜が明け、明るくなってきた。そこで、思わず私は2人に土下座をしたのである。「自分に正直になろう! お互い、悪いと思ってるんやから…」と頭を地面に付けたのである。2人とも「お兄さん、止めて!」と近づいてきたので、2人の手を取り、無理矢理握手させた。
 もうそれから20年が経ち、弟夫婦は孫を持つ、若いおじいちゃん、おばあちゃんになっている。

 ニューヨーク・ハドソン川の遊覧船から幼児が川に落ちた。すぐさま川に飛び込んだ男性がいた。幼児は無事助けられ、警察から感謝状が出ることになった。ところが、その男性は殺人罪で服役を終えた人であることが分かった。その人が川に飛び込んで人を助けたのである。

 人間はみんな、優しい心を頂いて生まれてきている。それが人間の本心である。それなのに、「俺が、私が」の「」が顔をのぞかせ、自分勝手な生き方をしてしまう。でも、後から出てくる反省する心。これも人間みんなが頂いている。その反省する心のままに謝罪し、そこから改まって、自分の心を磨くことに努めたいと願う。

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