待たされて


●先生のおはなし
 「待たされて」

金光教鳥羽とば教会
野呂教行のろのりゆき 先生


(ナレ)おはようございます。パーソナリティの大林おおばやしまことです。
 先日、朝の散歩をしていたら、車を洗っている人がいました。烏のフンが車の屋根にべっとり付いていたんだそうです。「朝早くから大変ですね」と言いますと、「いやあ、烏のおかげで、やっと洗車をする気になりました。これが『フン切り』というものですな」と言って笑っています。私も一緒に笑いながら、「ああ、そんな受け止め方があるんだな」と思いました。
 さて、今日お聞きいただくのは、三重県、金光教鳥羽とば教会の野呂のろ教行のりゆきさんによる「待たされて」というお話です。これも、こんな見方があったのかという気付きのタネにしていただけるとうれしいです。

(本文)私は10年ほど前から、心臓に不整脈が出るようになりました。何年か経つ間に慢性化し、手術が必要となりました。2年前に循環器専門の病院でカテーテル手術を受け、昨年の4月、定期検診で通院した時のことです。
 この病院は救急病院でもあり、急患が入りますと、あらかじめ予約していた診察時間が大きく遅れることもあります。
 この日、待合室で待っていましたら、女性2人の話し声が聞こえてきました。その方は、「もう血液検査から1時間も待つのに何のアナウンスもないわ」「雨が降ってきたら洗濯物どうしようかしら。いやだ、私帰るわ」。そんな感じで、ずっと愚痴が止みません。
 連れの人に、「次の番かもしれないからね。もう少し待って」と諭されていました。しばらくして検査室に呼ばれて入っていきましたが、5分後には戻り、更に愚痴が止まりません。「1時間も待って、たった5分の検査よ」「早く終わる人を先に診てほしいわよねえ」という感じで、また言いたい放題です。精密検査の必要や、異状がないことにまで不足を言っています。
 この病院は患者が多く、問診までに2時間ぐらい待つのはよくあることです。大きな声は、周りの人をとてもゆううつな気持ちにさせます。連れの人は、「みんな同じように待っているから」と言ってなだめますが、全く収まる様子はありません。私はひと言声を掛けようかと思いましたが、その時、またその方は呼ばれて次の検査室に入っていきました。
 この方に限らず、この病院では診察を待つ時間を気にする人が時々おられます。
 私は、「待ち時間が長いね! いつになったら診てもらえるんだろうね?」と病院で話し掛けられた時には、「この病院は、緊急で危ない人ほど、密着して付き添ってくださいます。待ち時間が長ければ長いほど、あなたの体に心配がないということですから安心してくださいね」と言ってあげることにしています。そうしますと、たいていほほ笑んで喜んでくださいます。
 なぜそのように感じるようになったのかと言いますと、8年前のある暑い夏の日のことでした。私は定期検診で病院に行きました。その時、なぜか頭がとても熱かったのですが、気温のせいかと思いながら、心電図室で横になりセンサーを付けますと、なぜか眠ってしまいました。
 足音が聞こえ、目を開けますと、主治医と看護師さんがいて、私の右腕は既に点滴されて処置室にいました。「どうかしたのでしょうか?」と聞きますと、「強い症状の発作なので監視します」と言われました。鼓動が1分間に200回ほどあり、先生は付ききりで心電図モニターをにらんでいます。鼓動が止まらないよう一生懸命になってくださる先生の姿に、私は「ありがたいなあ。他の患者さんを待たせて申し訳ないなあ」と感じました。そして先生は、「心臓が頑張っています。あなたも頑張ってください」と仰いました。
 私は祈りました。そして2時間ほど主治医を独占したわけです。院内には急患のアナウンスが流れ、他の予約患者さんも私のことを思い、待っていただいていることを強く感じました。そして、私の心臓は徐々に平常に戻り、落ち着きを取り戻しました。
 私は、病院の中で発作が起きたことは、神様のおかげだと感じました。もし、車の運転中に発作が起きて気を失っていたら、自分の命だけでなく、縁もゆかりもない方の命を奪っていたかもしれません。
 この病院での経験の後、たとえ長い時間待たされても、先生のひと言しかないような短い問診であることが、とてもうれしくて、この上もない幸せでありがたいことなのだと思うようになりました。「何も異状ないですね。良くも悪くもないですよ」という、お医者様のそのひと言が楽しみな言葉だと思うようになったのです。
 私は、待ち時間が長いほどに、いつも自分の助けられた一部始終を思い出すことにしています。そして、急患の方があれば、「無事に手当てができますように」と、お祈りができるようになりました。
 待たせていただくことは幸せなこと、ありがたいことだと実感しています。いろいろなことを通して、神様は大切なことに気付かせてくれる。また一つ、神様からお育ていただいたように思っています。

(ナレ)いかがでしたか。
 野呂さんは、病院で長時間待たされる間も、同じように順番を待つ人たちの気持ちや、急を要する患者さんのこと、病院で働く人たちのことも思いながら祈ります。この広やかなものの見方は、神様の眼差しそのものではないでしょうか。
 病院に限らず、地球上の人間はみな、いろんな悩み苦しみを持ちながら、関わり合って生きている。そのことを、いつも忘れずにいたいものです。

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