教会は私の一部です


●信者さんのおはなし
「教会は私の一部です」

金光教放送センター


(ナレ)大阪駅にもほど近いオフィスビル街の真っ只中に静かに佇む金光教真砂まさご教会。そこに、約2キロメートルの道を毎日歩いてお参りしている女性がいます。山内和子やまうちよしこさん75歳。どんな思いでお参りをされているのか尋ねてみました。

(山内)やっぱり、お教会に来るとね、なんか違うんですよね。どこにいても神さんいてはんねんから、ここだけにいてはるわけじゃないって、それは分かってるんだけど、空気が違うし、集中ができる。やっぱり神様、御霊みたま様に向き合わしていただけるっていう、そういう場所であるのが、私にとってはありがたいですし、もうなんかいろんな御用をしたいなとか思わしてもらえるところだし、で、やっぱりうれしいというか、楽しく御用させていただけるところが、ありがたいです。

(ナレ)教会にお参りするたびに、山内さんは進んで掃除をしたり、花を活けたり、他の参拝者のお世話をしたり、教会のミニコミ紙を作ったりもします。こうした心配りができるのは、ある大きな商社で長年社長秘書を務めてきた経験も手伝っているのでしょう。19歳で会社勤めを始めて2年後に父親と死別。一人娘だった山内さんは、母親を支えるためにも、人一倍真面目に働きました。

(山内)会社に入社した時は、配送の業務をしてたんですけれども、秘書の人がお辞めになって、だから最初は、両方ね、兼務みたいな形でやってたら、今度社長がね、「何かの時に頼もうと思ったらいない!」とか言って怒りはって、でまあ結局それからずっと辞めるまで、かわいがっていただいて、させていただきました。長いことお勤めさせていただいたんです。48年間、同じ会社で。

(ナレ)しかし会社では、人間関係の問題で苦労することも多かったようです。

(山内)やっぱりいじめもあったしね、いや、私に対してのいじめじゃなくって、後輩のいじめとかもあったしね、そういうのは大変でしたねえ、やっぱり、解決策が。上手なんですよ、女の人ってね。あの、いじめたほうの人がね、男の人の上司にね、「あんなに言われてるけど私はこうなんですよ」「そんな全然してないんですよ」とか言って、甘えて言わはったらね、男の人はね、こっちの人が悪いように思いはるんですよ。そやからね、やっぱり怖いです。ドラマのようなことは実際にあるんです。やっぱり何人か集まったらね、意見も違うやろし、学校じゃないけど、えこひいきみたいに思いはる人もあるやろうしね。かわいがってもらってたらね。

(ナレ)山内さんはそんな時、いつも教会にお参りして、先生に話を聞いてもらいました。すると先生は、「困った人だと思っても、決して切り捨ててはいけない。神様にとっては誰もがかわいい子ども。神様の心になって、みんなを助けてあげなさいよ」と励ましてくださるのでした。
 金光教の教えに、「人を軽く見るな。軽く見たらおかげはない」というものがあります。これについて、教会の先生が、こんなことを言われたこともありました。

(山内)「あんたどんな人と結婚したいんや」って言わはってね、私は、まあ、引っ張ってくれる人がいいとか、尊敬できる人がいいとか、いっぱい言うたと思うんですよ。その時に、「もしもな、このお道(金光教)の人じゃなかったらどうする?」って言いはったんで、「いや、それはもう私がちゃんと、このお道におかげ頂かれるようにさせていただきます」って言うたら、「あんたな。人はな、そんな簡単なもんやない。『人を軽う見な、軽う見たらおかげはない』っていうことを言ってはるやろ? そうやで!」って言わはって、ああ、こういうことも、人を軽う見なっていうことに繋がるんやなあと思いました。自分が人を偉そうに変える…。そういうことも教えてもらいましたね。

(ナレ)このようにして教会の先生は、人を大切にする心を丁寧に教えてくださったのです。

(山内)だから、自分ではね、気のついたところを片付けたりとか、人のできないところを助けてあげたりとかいうことは、さしていただいたけど、それが目に見えて、皆さんに通じたかどうかっていうところは、ちょっと疑問です。ただ、人間関係が難しいといいますけどね。でも誰とでも、仲良くさせていただけたっていうのはありがたいことやと思ってます。

(ナレ)生活上のあらゆることについて、教会で先生にお話しし、そのたびに優しく、時に厳しく、教えを受けながら生きてきました。このような信心の仕方を教えてくれたのは母親でしたが、その母親もすでに亡くなり、結婚しなかった山内さんは、今は独り暮らしです。でも、教会があるから寂しくないと言います。

(山内)御霊さんはすごい守りきってくれてはるなあと思いますね。はい。神さんはもちろんですけど。
 で今、本当にありがたいことばっかりなんです、私。自分のことをね、願わなくていいんですもん。私のことはね、皆さんが願ってくれてはるから。それよりは、人のことを少しでも願わせてもらって、お役に立ちたい。
 もうお教会は自分の一部です。這うてでもお参りしたいです、もう年取って。もうここでどっちか言うたら泊まりたいぐらい(笑)。

(ナレ)山内さんにとって、教会参拝は親の待つ家に帰るようなものなのでしょう。そしてそこで心の安らぎを得て、神様のお役、人のお役に立てるのが、何より嬉しいことなのです。
 とかく孤独に打ちのめされたり、生きる意味を見失いそうになったりしがちな現代ですが、案外あなたの近くにも、こんな場所があるかもしれない、ということを心に留めておいてください。

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