●信心ライブ
「おくりもの」
金光教放送センター
(ナレ)おはようございます。今日は金光教伊勢教会の髙阪健太郎さんが令和4年12月に金光教本部でお話しされたものをお聞きいただきます。
髙阪さんは、その年、お父さんを亡くされました。そして胸に迫るあれこれをお話しされました。今回お聞きいただくのは、そのお話の冒頭部分です。お話には「おくりもの」というタイトルが付けられています。どのようなおくりものだったのでしょうか。
(髙阪)5月26日、午後10時53分、父の85年の現身の生涯が幕を閉じました。
しかしながら、このたび、ご本部から、「7月20日付けにて霊神として本部広前に奉斎されました」、とのご通知を頂きました時、私は父が生きているように感じました。と言いますのも、その7月20日は、存命なら父の86歳の誕生日だったからです。「形は変わりましたが、私は生きておりますよ」。遺影の父が、あたかもそれを伝えにきたように感じました。
父の告別式を仕えることになった5月29日は、図らずも私の59歳の誕生日でした。 葬儀社やもろもろの都合からでしたが、まさか自分の誕生日に、父の葬儀を仕えることになるとは、想像もしませんでした。けれども、それが父からの、最後にして最高のおくりものだと気づくのに、時間はかかりませんでした。
葬儀の準備も一息ついて、私は前から気になっていた『備忘録』と書かれた、父の小さなノートを手に取りました。引き出しにあるのは知りながら、どこか触れがたく、それまで中を見ることができませんでした。
開いてみると、意外にも、そこには父の「死生観」といえるものが書いてありました。
その中の一つを読みます。
「老いには、苦痛や孤独、悲惨などが付き物である。それを嘆けばきりがない。しかし、見方を変えれば、それを受け止め、味わい、耐えることは、長く生きた者、つまりは老いた者の義務であり、責任である。いわばノブレス・オブリージュである」
ノブレス・オブリージュ? 調べてみると、フランス語で、直訳は「高貴さは強制する」となり、「位高ければ 徳高きを要す」 または 「地位の高い人の義務」とされる言葉でした。「老い」ということを地位や高貴さに例え、それが長く生きた者、老いた者の義務であり、責任であるという、父の覚悟の言葉でした。
父は、4年前から、T細胞大顆粒リンパ球性白血病を患い、ここ1、2年は毎月、輸血を要する体でした。ただでさえ細い体で、「この数値では普通は倒れますよ」と医師に宣告されながらも、日常はどうにか過ごしていましたが、父をいつもそばで支えてきた母も要介護で施設のお世話になる身となり、自室で独り過ごす、そんな時間が増えていく中で、病と、老いに伴うさまざまな苦痛、孤独、悲しさを抱えていたはずです。けれどもそれらを嘆くことは一切なく、傍らにはいつも『(金光教)教典』があり、時々私が部屋をのぞくと、食い入るように読んでいる、そんな父の姿がありました。
くしくも父の告別式に重なった私の誕生日。これから私は命ある限り、誕生日のたびに、父とお別れをしたこの日のことを思い出すのだろうと想像しました。ここまでどう生きたか、ここからどう生きるか。私は来年還暦ですが、やがて老いゆくその在り方をも、父に見られていくような気がしています。
(ナレ)ノブレス・オブリージュ。ある対談では、「生まれながらの地位に限らず、例えば財産に恵まれたなら、困っている人や社会のために使うべきだ、使わないと申し訳ないという心理だ」と語られていました。恵まれている自分に何ができるか、ということでしょうか。
ノブレス・オブリージュという言葉から、地位や高貴さに並べて語られた老い。賜り物として受け止められた老い。そのように老いを受け止めようとし、事実、そう受け止め、生き抜かれた姿が目に浮かぶようです。そんな老いを生きる姿とそのことを支えた言葉を、髙阪さんは「おくりもの」と受け取られたのでした。
また、事情が重なり、葬儀を自身の誕生日に仕えることになったこと。金光教本部に霊神として祀られた日が、お父さんの誕生日と重なったこと。それぞれの誕生日に、葬儀や奉斎された日が重なるという偶然に、偶然以上のものを感じておられます。
この出来事をして、髙阪さんに、「どのように生き、老いていくかまで見られていく気がする」と感じさせる働きに、「図らずも日付が重なる偶然の背後にある神様」を思われたことでしょう。
それゆえに、その日が来ればお父さんのことを思い出すにとどまらず、信心とともに思われる「どのように生きるか」という場面で、確かなお父さんのまなざしを感じておられます。
「おくりもの」。老いを生きる姿とそこにあった覚悟の言葉をお父さんから、日付が重なる偶然を神様から、これからをお父さんと歩んでいくことの確かさを信心から、受け取られたのではないでしょうか。
このように関係が結び直され、これからを生きることに深く根ざした新たな関係が生まれてきたことは、信心なればこそのことと私には思えるのです。