かんべむさしの金光教案内6 第5回


●第5回
「かんべむさしの金光教案内6」

金光教放送センター


 おはようございます。『かんべむさしの金光教案内』、最終回の今朝は、私自身が、どんなきっかけで金光教の信奉者になったのか、そのお話をさせていただきます。
 まず、私が金光教玉水教会という、大阪市西区にある、明治38年に出来た教会に正式に通いだしましたのは、四十代の後半になってからです。それまでは宗教には何の関係もない、平均的な日本人の一人だったんです。
 略歴を申しますと、学校を出て広告代理店に6年間勤めたあと、脱サラして作家になりました。そしてその勤めてた広告代理店が、偶然、玉水教会のすぐ近くにありましたので、木造の古い大きな建物だけは見て知っておりました。
 一方、広告の仕事を選んだ時も脱サラする時も、私は自分で考え、自分で決めて、実行してきておりました。父親が早くに亡くなり、また家庭内の事情もあって、「大学を出してもらったら、その先、自分は全て一人でやっていかなければならんのだな」と、高校の頃から強く思っていたからです。
 しかし同時に、正味の私は心配性の恐がりで、本当に気が弱い人間です。なのに人には頼らず、すべて自分一人でと覚悟してるんですから、心の底には常に不安がある。それをやわらげるため、サラリーマン時代も作家になってからも、安心・自己実現・願望達成法の本などは、よく読んでおりました。
 そして、漫画家のサトウサンペイさんが書かれた、『ドタンバの神頼み』という本も読ませてもらいましたら、書き出し部分に、建物だけは見て知ってた教会が出てきたのでびっくりした。私はそこで初めて、金光教という宗教名、玉水という教会名を知ったんです。
で、とにかくそんなわけで、それらの本を折々読み返しながら、仕事面でも生活面でも、自分の考えや判断で対処してきてたんですが、四十代になってから、それだけでは解決できない問題が起きてきました。
 簡単に言いますと、世間一般の読書離れが進んで、本というものが売れなくなり出したこと。母親が高齢化して、心身の老化が目立ち出したこと。しかも身内に揉め事があって、それがどんどんひどくなってきたこと。
 どれもこれも、私一人の力で解決できる問題ではありませんので、精神的に追いつめられて、私はノイローゼみたいになりました。
 そして、『ドタンバの神頼み』をあらためて読み直し、「ひょっとしてこの宗教、この教会が、今のこの苦境を、何とかしてくれるのではないか」と、そう思ったんです。
 つまり、それまでの「全て自分の力で」というやり方がついに通用しなくなって、「神様に頼る」という、全く別の思いが、初めて生まれてきたんですね。
 ただし、さきほど申しましたように心配性ですから、すぐさま信奉者になるということは、できませんでした。玉水教会は大きな教会で、誰でも自由に出入りできますから、どんな様子なのか、まず偵察に行き出したんです。
 そして、それが断続的に何と2年に及んだんですが、教会長や所属しておられる先生方が、よく2年間も「知らん顔」をして、良い意味で「放っておいて」くださってたものだと思います。途中で何か言われてたら、私は逃げてたに違いありませんからね。
 それでその間、金光教の教典や教祖さんの伝記も読ませていただいて、温和で寛容な教えであること、他の宗教を否定せず、賽銭やお供えに義務も強制もないこと、そして何よりも、人から神様への「願い」が土台になっていることなどを確認させてもらいました。
 その結果、47歳の時、決心して、自分の名前や職業や、重荷になってる問題などを先生にお話しさせていただきまして。以来今日こんにちまで、その時々の願いの実現や難儀の解決を、神様にお届けさせてもらってきてるわけです。
 そして現在、私は後期高齢者になっておりますが、それだけの年月教会に通ってきて、信心が進んだのかというと、自分でも情けないんですけど、そうではありません。
 性格気質や仕事柄もあって、教えでも何でも、「頭」で理解はするけど、本当には分かってない。身に付いてない。この放送でも、参考書籍を頭で読んで、作家の「勘」でまとめてる部分が大きいので、「底の浅いことをしてるなあ」と、自分で思ったりしてるんです。
 実際、神様を心の底から信じるというのは本当に難しいことで、私はいまだに迷ったり、心配したり、うろたえたりしております。とはいえ、金光教という幅の広い道を歩かせてもらってるなかで、右に寄ったり左に寄ったり、ふらついてはおりますが、歩くのをやめようとか、この道からそれて他の道に行こうとか、それは思ったことがありません。
 ひとつの言い方をすれば、「信じてる」とまでは言えなくても、金光教を「信用してる」ということは、言えるだろうと思います。
 また、前に教会でもらった日めくりカレンダーに、「何でも自分の力でできますか。できないから祈るのです」という言葉が載ってましたが、それは「本当にそのとおりだなあ」と、実感しております。そうなんです。できないから、祈ってるんです。
 はい。というわけで、『かんべむさしの金光教案内』、5回にわたってお話をさせていただきました。機会がございましたら、またいつかお話を。ありがとうございました。

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