●小川洋子の「私のひきだし」その4
第2回「か弱い者ほど深く感じ取れる」
金光教放送センター
皆様おはようございます。作家の小川洋子です、『私のひきだし その4』。今日は第2回をお届けします。
先日、結核に侵され、寝たきりになった正岡子規が、死の直前まで新聞に連載していた随筆集『病牀六尺』を読む機会がありました。改めて説明するまでもありませんが、正岡子規は日本文学を代表する俳人、歌人で、夏目漱石の親友としても有名ですが、結核のため34歳の若さで亡くなっています。『病牀六尺』には、不治の病に倒れながらも、文学や絵画や社会批判など、多方面への好奇心を失わず、生きることに情熱を注いだ姿が描かれています。
しかしそんな日々の中でも、身体の苦痛に絶望し、弱気を見せることもあります。例えばこんな一行があります。
「誰かこの苦を助けてくれるものはあるまいか、誰かこの苦を助けてくれるものはあるまいか」
同じ文章を二度繰り返し、その上、全ての文字に傍点が打たれ、強調されています。さらにその翌日、宗教を信じない自分には、神や仏の救いは届かない、と記しています。
ここを読んだ時私は、特定の宗教を信じているかどうかは関係ない。「助けてくれるもの」は確かにある、と子規に向かって言いたい気持ちになりました。『金光教教典』には次のような言葉があります。
「神へは何でも願え。神は頼まれるのが役である」
弱く、苦しんでいる者ほど、深く願うことができます。願えば願うほど、神様の働きをありありと感じ取ることができるのです。
結局子規は、狭い寝床の中から、芸術家として、更には死を意識した者としての透徹な目で世界を見通し、人間の真理に触れようとします。苦痛の中で生かされている理由を探ろうとすること自体が、彼の人生の意味となってゆきます。
か弱い者ほど深く感じ取れる。この言葉から、もう一冊、ノンフィクション作家の柳田邦男さんが、自死された息子さんについて書かれた本、『犠牲サクリファイス わが息子・脳死の11日』を思い出します。神経症を患い、精神科の治療を受けつつ、通信制の大学に通っていた柳田さんの次男、洋二郎さんは、25歳の時自殺を図り、脳死状態に陥ります。病院のベッド脇で、息子が書いた日記を広げた柳田さんは、そこにこんな文章を見つけます。キリスト教の教会へ通う電車の中で、窓の向こうの風景を見ている描写です。
「…ぼくは行きの電車で、孤独な自分を励ますかのように、『樹木』が人為的な創造物の間から『まだいるからね』と声を発するかのように、その緑の光を世界に向け発しているのを感じた」
社会に上手く溶け込めず、孤立している自分を、しかし樹木だけは見捨てていない。緑の光を自分に向けてくれている。息子が、そんなふうに懸命に自分を励ましていたのか、と知って柳田さんは、涙が止まらなくなります。
「まだいるからね」
これは、洋二郎さんの心の中に届いた、神様の声だったのではないか、と私には思われます。真にその声を必要としている人だけが聴くことのできる、声です。
何と優しい響きを持った言葉でしょうか。まだ、の一言からは、決して見捨てはしないという力強さが伝わってきます。いるからね、の一言には、ただ自分のそばに何ものかがいてくれる、ということの安心、温かさがあふれています。この言葉を聴き取った洋二郎さんがどれほど豊かな心の持ち主であったか、おのずと伝わってくるようです。
日記を読み、息子の心の内に触れた柳田さんは、洋二郎さんの腎臓を、移植を待つ患者さんに提供する決意をします。洋二郎さんの二つの腎臓は、一つは車で近郊の病院へ、一つは航空自衛隊のジェット輸送機で九州へと運ばれました。洋二郎さんの死が、二人の命につながったのです。
神様がなさることは、人間の知恵などとても及びません。病に苦しみぬいた若者が、他者の命を救う。こんな奇跡のような出来事が、人間の頭で考えた理屈によってなされるわけがありません。やはりそこには、人間の力を超えた何か、の働きがあるのです。
「天に任せよ,地にすがれよ」
金光さまはこうおっしゃっています。任せきる、すがりきれるものを持っている人は幸いです。
神様の声を心で受け止めた洋二郎さんの魂は、天地の懐に抱き留められていることでしょう。
それでは、今日はこのあたりで失礼いたします。また来週、よろしくお願いいたします。