愛はふたたび


●私の本棚から
「愛はふたたび」

兵庫県
金光教出石いずし教会
大林誠おおばやしまこと 先生



 おはようございます。兵庫県にあります金光教出石いずし教会の大林誠おおばやしまことです。
 シリーズ「私の本棚から」。今朝は、昭和56年に刊行された『愛はふたたび』という本をご紹介します。
 著者の平本行雄ひらもとゆきおさんは、5歳の時に戦災孤児になり、以来、逆境が続いて、すさんだ生活に陥っていきました。しかし、中学3年生の時、そんな平本さんを、ある金光教の教会が家族のように温かく迎え入れ、高校にも通わせてくれたのです。この本はその実体験を小説風に書いたもの。一部を抜粋して読ませていただきます。

 行雄は、最初は教会を裕福と思ったが、それは、これまで育った家に比べてのことであって、贅沢な暮らしではなかった。
 他の人には、庠いところに手が届くようにお世話をされるのだが、ご家族の生活は実に質素なものであった。自分たちの楽しみというものがなく、旅行や観劇に行かれることもなかった。
 「美味しいものを頂いたり、いい着物を着たり、温泉などに行くよりも、人様が喜んで下さることが、一番にうれしいことです」ということであったから、そういうことには見向きもなさらないのである。人間として、一般的な楽しみを捨ててまで人に尽くすことが、それ程に大切なことなのだろうか。行雄は自分が世話になっていることも忘れて、疑問に思うことばかりであった。
 だが、そういうご家族の深い愛情も、行雄の心の硬い氷を溶かすには、一朝一夕にはいかなかったのである。
 そうしたある日、行雄の心を大きく揺るがす出来事が起きた。いつものように遅い起床で二階から降りて行くと、この日に限って妙な雰囲気である。
 「何かあったのですか?」
 「うん、お母さんの手文庫が見当たらんらしいで……」
 行雄はドキッとした。続いて嫌な予感が頭を走った。これまでも、こういうケースはしばしば経験している。何か物がなくなったりすると、次に起こることは疑われることである。
 「もし疑われたり、尋ねられたりしたら教会を出て行こう」
 行雄は心の中で決心を固め、教会の人たちの動向を見守った。
 手文庫はついに見つからずに、盗られたという結論になった。金額はどうでもいいが、大切な書類なども入っているから、一応、警察に届けようということになった。
 幸い信者さんの中に警察官の人がおられたので、奥様が電話で頼もうということになった。警察という言葉が嫌な思い出と共に、行雄に過去を蘇らせた。
 「やっぱり俺は疑われてるんや。自分たちで聞くのが辛いんで警察に頼むんやな」
 行雄は、やっぱり大人はいざとなると汚いと思った。
 「疑うんなら疑え、後で犯人が分かって謝っても遅いで。こんな人間でも五分の魂は持ってるんや。金光教は邪教やと世間に出て宣伝したるわ」
 自分が疑われていることを予測して、行雄は警官からの尋問があることを覚悟した。
 「もしもし、あっ、Kさん、ちょっと調べてもらいたいことがあるんですけど……」
 奥様の電話の声が、障子を通して聞こえてきた。行雄は、どういう会話になるか全神経を集中した。障子を隔ててはいたが、相手の声も微かに聞きとることができた。
 「ああ奥さん、何か変わったことでもありましたか?」
 「ええ、ちょっと手文庫が見当たらなくなって……」
 紛失した時の情況説明や、何が入っていたかというようなことが縷々るる続いたが、説明を聞いたKさんは、次のように言った。
 「よく分かりました。早速に行って調べてみますが、内部の事情に詳しい者の犯行ですなあ」
 「というと?」
 「いや奥さん、教会には、ほかの子供さんも居られますねえ?」
 「ええ、あんたも知ってはる通り、ほかの子いうたら行雄さんのことになりますかねえ」
 「あの子の過去のことは、もちろんご承知でしょうねえ」
 「そら知ってますがな、それで?」
 「いや詳しく調べてみないと分かりませんが、内部の人間がしたかも知れません」
 「あんた、ようもそんなこと言いなさるな。そら以前のことは、わても少しは知ってまっせ。けど、いつまでもそんなこと思うてはったら困りますなあ。あの行雄さんを疑うてはるんでっか?」
 「いえ、別に疑う訳ではおまへんが……」
 「そういうふうに聞こえますがな。あんたも何年信心してはるの。私らがどういう思いで、あの子を育てているか分かってはりますか? あの子が怪しいやなんて、ようそんなことを……あの子はそんな子と違います」
 「分かりました。そんならすぐ調べます」
 電話は切れたが、行雄はそのまま動くことができなかった。
 涙が目ににじんできて、前が見えなくなっていった。
 「もう俺は、この先生や奥様について行こう。この金光教を信じて行こう。世界中の人が、『金光教は邪教だ。信じるな』と反対しても、教会の家族の人たちが信じておられる限り、この道について行こう。それに、どうすれば親先生や親奥様のようになれるのか、どうすれば、見も知らぬ人にでも深い愛を示していけるのか、それをじっくりと見届けよう」
 行雄は、そう決心した。

※表記は原典に基づいています。

 いかがでしたか。平本さんは、後に金光教教師となって、人助けに一生を捧げられました。自分は愛されているという実感が、いかに力強く人生を支えるか、また、生き方を変える力にもなるか、ということを、この本は教えてくれます。そして私も、教会を預かる一人の人間として、この教会の奥様のあり方に、襟を正される思いがするのです。

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