●第3回
「かんべむさしの金光教案内」
金光教放送センター
おはようございます。『かんべむさしの金光教案内』、その3回目でございます。
第1回目では、私が40代半ばの頃、仕事面でも生活面でも問題を抱え出し、偶然の切っ掛けで金光教と、大阪の玉水教会という教会を知って、「ひょっとして、この宗教、この教会が、悩み事を解決してくれるのではないか」と思ったことをお話ししました。
第2回目では、その玉水教会に偵察に出掛け出して、「よし。ここへ通わせてもらおう」と心を決めるまでに、2年ほど掛かったことなどを聞いていただきました。そして、その決心に至った理由の一つは、金光教に優しさを感じたことだとも申しましたので、今朝はそのお話をさせていただきます。
玉水教会の表には、関係書籍を販売してる施設もありますので、偵察期間中、そこで金光教の教典や教祖の伝記などを買って読み出しておりました。その結果、金光教が、江戸時代の終わり頃に、備中大谷、今の岡山県浅口市金光町で始まったこと。それから、教祖様という人は、元は農業をやってた人で、だから参拝者の願い事や悩み事を聞いて、神様に祈ってあげるようになったのは、農家の一部屋でだったことなどを知りました。
そして教典にも伝記にも、教祖様と参拝者との接触、神と人とを取り次ぐ「お取次」の具体的な例がたくさん出てきます。その中には、以前テレビでやっていましたアニメ番組、『まんが日本昔ばなし』みたいな話もある。
例えば、お百姓さんがすいかの初生りを自宅で神様に供えて、翌日それを持って参拝しようとした。そしたらその途中、巡礼の親子に出会って、夏の暑い時ですから、子どもがすいかを欲しがって泣き出したんですね。
それで可哀想に思って、そのすいかを子どもに与えたんですけど、その結果、自分は手ぶらで参拝ということになってしまった。それを気にして表でもじもじしてましたら、教祖様が出てこられて、「すいかの初生りは、ゆうべ神様が喜んでお受け取りになった」とおっしゃったという、そんな話があります。
つまり、その人が昨日自宅で神様に供えたことを既に知っておられて、だから手ぶらでも何も気にしなくてよろしい、あなたは良いことをされたのだから、ということなんでしょうね。当時の農村の夏の光景やその暑さ、せみの声。巡礼の親子の姿とか、教祖様の言葉の優しさや、雰囲気の穏やかさ。
そういったことが目に浮かぶようなエピソードで、私、元々こういう話は好きですから、一遍で頭に入ってしまったんですね。そして教典にも伝記にも、こんな話がたくさん出てきて、全体として、優しくて、穏やかで、寛容な雰囲気が感じられる。いわば、その点に安心していたというわけです。
というのが、第1回目でも申しました通り、私は心配症の人間です。心配症で、怖がりで、本当に気が弱い。ですから、よく将来への不安に襲われてたサラリーマン時代も、作家という、内実は不安定な仕事に就いてからも、心の奥底では、「頼れる何か」を求めてたんじゃないかと思います。そしてその何かは、自分が気が弱いだけに、優しくて、穏やかで、寛容であることが必要条件だったんだろうと思います。
まして偵察に行き出したのは、仕事面でも生活面でも、抱えた問題がなかなか解決しないという時期ですから、なおさらのことで。一つの言い方をすれば、私と金光教とは、その意味で「相性が良かった」わけです。
金光教は他の宗教を否定しませんし、私も、「人それぞれ、必要が生じたら、自分に向いた宗教を選べばいい」と思ってる人間ですから、どなたに対しても、「金光教でなければならん」と決め付ける気持ちは、全くありません。「私は相性が良かったので選んだんですよ」と、そうお伝えするだけなんです。
ただし、私は相性がいいから選んだと、自分の側から見てそう言ってますが、金光教の教えでは、本当は「選ばせていただけた」、神様が金光教に引き寄せてくださったのだと、そういういきさつになるんだそうです。
さて。優しさや穏やかさについてお話をしてきましたが、それとは別にもう一つ、ぐっと引き込まれた要素があります。
玉水教会は明治時代に出来た教会で、初代の教会長は湯川安太郎という先生です。その湯川先生が参拝者たちに、長年にわたってなさった信心のお話を収録した『湯川安太郎信話』、信心のお話で信話ですね、そういう本がありまして、それも偵察期間中に読み出してたんです。そしたら、この本が無茶苦茶に面白かったんですね。
というのが、お話をそのまま書き取った記録集ですから、古い大阪弁がもろに出てくる。おまけに登場する信者さんたちには、大きな商売をしてる家の御主人がいれば、長屋暮らしの貧しい夫婦もいる。その時代にはまだありました、大阪相撲の力士まで出てくる。
これも第1回目に申しました通り、私は長年の上方落語ファンですから、「うわあっ。この本、上方落語の世界そのままや!」と、興奮して熟読することになったんです。その意味でも、相性が良かったんですね。
もちろん、教典も『湯川安太郎信話』も、本当はかなり奥の深い内容を含んでるんですけど、読み出した当初の私にとっては、『まんが日本昔ばなし』と「上方落語」を思わせる世界で、実に親しみやすかったんですね。
はい、今朝はここまでとさせていただきます。ありがとうございました。