●信心ライブ
「三日坊主」
金光教放送センター
(ナレ)金光教の集会で行われた発表や講話などを録音で紹介する信心ライブ。今日は、長崎県、金光教志佐教会長の井上孝喜さんが、平成25年2月、鶴港教会でお話しされたものをお聞きいただきます。
日々、教会で奉仕される井上さんの元に、ある日突然、見ず知らずの方から電話が掛かってきました。10代の双子のお子さんを持つ、お母さんからの相談でした。
(音源)子どもさんが双子なんですね。双子じゃけども、つい去年の10月に少年院を出たばっかしですね。何したんですか、って聞いたらね、傷害事件って言いましたね。何か犯罪起こして。
去年の10月ごろですね、電話があって、「先生、こんなんして、うちの子どもが10月に少年院から出てきます。うちの子どもを預かってもらえませんでしょうか」っていう電話なんですね。
そういう子どもがね、家庭に来ると、まあ、いろいろ差し障りがあると言いましょうかね。そういう子には、仲間、グループがありましてね。そういう人がみんな来ると。「そういう人と一緒になったら困りますから、教会で預かってもらえんじゃろうか」というのが初めての電話でした。
顔も見たこともないんですけどね、「ああそうですか、はいはい分かりました」って。「先生、まあいっぺんお参りしますから」と言うてそれから一カ月くらい経って、お参りがあったんですね。お母さんとお姉さんと2人でお参りがありました。
その時の話はですね、「先生、ああいうことを言いましたけど、私が親ですから、私が育てます。私の子どもですから私が育てます」「そうね、それが一番と違うね」って。
近所のそういう不良少年の仲間がいろいろおりますけどですね。「その子たちも神様の氏子じゃから、その子どもたちが来たら困るんじゃなくて、その子どもたちも一緒に祈ってやらないかんのじゃないの」。そういうふうに話しておりました。
そしたら、「はい、分かりました」と。「でもね、お母さん、これから子どもさんとどういう生き方をしていくかというのは、お母さんが決めたらいかんよ。それはこれから帰ってね、子どもさんとよーく相談してね、親子とも意見が一致したら、それをもってもういっぺん教会に来て下さい。もういっぺんだけ参って来なさい」と言うて帰ってもらいました。それが11月です。
それで、1月になりましてね、「先生長いことご無沙汰しております。子どもたちと話をしましたからですね、お参りさしてもらいます」という電話があって、お参りがありました。
それが、お母さんとお姉さんとですね、子どもさん2人。もう始めはですね、どんなんが来るんじゃろうか、とねえ。少年院出てね、はあ、ドキドキしますけどね。ほんともう普通の子でした。
「どういうふうな話になりましたか」と言ったら、「学校に行かして下さい。行きたい」と言うんですね。「そうね。何しに学校へ行くん」。返事がないんですね、「お母さん、何しに学校行かせるん」。返事がない。子どもさんも黙っとる。
「そうね、それをこれから見つけるために学校行かせてもろたらいいんじゃないの」って。「そうですね」と仰るんですね。
「それを探すために、自分が将来どういう形で生活していくか、を探させていただきたい。そのことを神様にお届けさしてもらいます。これまで大きくお育ていただいたことのお礼を土台にしてお願いをさせてもらいますからね」。大変喜んでですね、帰っていただきました。
で、子どもさんとですね、いろいろと相談した結果、朝7時に起きて、いろいろして1日の時間のスケジュールを作ってるんですね。そしてそれが、つい3、4日前、お母さんから電話がありました。
そのお兄ちゃんの方がですね、この頃、朝起きてこない。ちょっとね、疲れたから散歩に行く。行ったら帰って来ん。夜どっか出掛けとる。ねえ、夜中の12時になっても帰って来ん。
夜中のうちにね、電話が掛かってきた。「お母さん心配せんでもええよ。友達の所におるから、すぐ今から帰るから」って言うて帰って来ん。帰って来たら、朝の5時ごろ。
もう親はたまらん。で、子どもを責めてるんですね。「あんた、約束を守っとらん。なんでそんなことする」。だんだんもう親がね、ノイローゼになって涙声で電話があるんですね。どうしたらいいか分からん。
「はあ、ありがたいねえ」って私は言わせてもらいました。
あんた、よう考えてごらん。朝の7時に起きてね、夜の9時か10時か分からんけども、じっとこうスケジュール通りね、こなすのは難しい。私もできん、と。多分誰もできんと思うよ」って。お母さんは、「3日間だけできました。それからがダメなんです」と言われる。「三日坊主三日坊主言うけども、三日間できたから三日坊主やろうがて。3日間できたことをなんであんた、ありがたいと思わんね」。「はあそうですか」。「ね、ありがたい。そういうふうに元気やからこそ徘徊する、その元気なところはありがたいじゃろう」と。徘徊するのは困るけどね。
やっぱり天地に生かされている自分ですね。「子どもが生まれた。うれかったでしょう。しかもね、健康な五体満足の双子じゃった。こげなありがたいことはない。幼稚園に入った、ああうれしいうれしい、小学校に行った、ああうれしいうれしい、と。やっぱりこの、お礼が先なんじゃないですかね」と申しました。大変よく理解していただきましてですね、だんだん元気な声が出るようになりましてですね、電話を切られました。
(ナレ)いかがでしたか。不安や心配にとらわれて狭くなっていたお母さんの心が、先生にお話することを通して徐々に広くなり、その広い心で子どもを受け止めていかれました。
お母さんの明るい気持ちは、徐々にお子さんへも伝わり、今も家族皆で教会へのお参りが続いているそうです。
私たちもつい、できなかったことばかりにとらわれてしまいますが、できたことを喜んで、良いところを見いだして、神様にお願いしながら、焦らずゆっくりと歩んでいくことの大切さを感じました。