神様の段取り


●先生のおはなし
「神様の段取り」

金光教天瀬あませ教会
秋山世喜子あきやまよきこ 先生


 私は金光教の教師で、両親と共に教会で奉仕しております。
 7年ほど前のことです。
 夜、父の様子がいつもと違います。話しかけても全く言葉が出て来ません。視線も合いません。
 「病院に行きますか?」
 母が何度か尋ねると、玄関の方に行きたそうな様子です。母と2人で支えながら玄関まで連れて行き、車に乗せ、私の運転で救急病院へと向かいました。
 病院に着き、出して下さった車椅子に座らせたところで、父の意識はなくなっていました。幸い、他の患者さんがいなかったので、すぐに診察となりました。
 大変なことになったと、大きな不安が押し寄せましたが、母が、「これもおかげの中で起こったことだから」と、平常心で私に対応してくれたので、落ち着くことが出来ました。
 お医者さんに説明を受けると、脳梗塞こうそくということで、この1週間が山であるということでした。たとえ命が助かったとしても、重度の障害が残るだろうということでした。
 父が来た時には誰もいなかった待合室には、数人の患者さんが待っておられ、しかも、この日の当直は脳外科の先生でした。改めて、本当に間一髪のところを、命をつないで頂いたのだと感じました。
 集中治療室へと移されると、父の意識が少し戻っていました。父は、私の顔を見ると、何やら必死に伝えようとしています。しかし機能に障害が起こり始め、言葉がうまく出てきません。左手で何か書こうとするので、紙とペンを渡すと、平仮名で3文字の言葉を何度も書いては首をかしげて消しています。
 「おかか?」
 私にはそうとしか読めませんでしたが、どうやら違うことを伝えたいようです。そこで、いろいろと尋ねていきました。
 「明日、何かあるの?」と尋ねると、どうやら何かあるようです。
 「分かった。帰って、予定を確認するから」。私がそう言うと、安心したようでした。
 夜中の2時頃になっていたのですが、帰ってすぐに予定を調べてみると、ご信者さんの墓前祭があると書いてありました。
 つまり、「おかか」ではなく「おはか」のことだったのです。
 しかし、午前の予定ですから、あと数時間後にはご信者さんが迎えに来られます。私は腹をくくり、父の代わりに祭典をさせて頂くことにし、母と2人で、急いで準備をしました。
 実はこの数年前に、父と2人で書類の整理を一緒にしていましたので、祭典に必要な資料がどこにあるのかが分かっていたから出来たことでした。おかげで、無事に祭典が終わりました。
 父はいろいろな役を務めていたので、その後、各方面に事情説明とお断りの電話を、母と2人で手分けしてかけていきました。
 父の状態はというと、初めは目の前にある「コップ」や「やかん」という言葉も出てこず、右半身の感覚がないため、「マネキンの腕がこんな所にある」と、自分の右腕を見て思ったこともあったようです。
 しかし、少しずつおかげを頂き、詰まっていた血管から、針ほどの細さですが血液が通るようになりました。少しずつ言葉も戻っていき、リハビリに一生懸命取り組んでいました。
 倒れたのは10月で、年末に向けての様々な事務処理を、これも父に尋ねながら進めていきました。
 実はこのことも、父が倒れる前私は、各教会関係の書類を精査する事務所で1年ほど勤めた経験がありましたので、いつどのようなことをしないといけないかが分かっていたからこそ出来たことでした。
 病室で父といろいろな引き継ぎをしていきました。有り難いことに、父は教会のことだけは、きちんと覚えていてくれました。その姿に、父が何よりも神様のご用を大事にしていたのだということが改めて伝わってきました。
 必要な物がどこにあるか尋ねると、部屋の見取り図を書き、場所を示してくれました。私はその場所にある物を一式、病院へ持って行き、父と一緒に仕分けをしていきました。
 そのような日々を過ごす中、入院中、病院から障害者の申請関係の書類を渡されていました。
 しかし、退院する時には、有り難いことに、ちょっと見ただけでは分からない状態まで回復し、障害者の申請が出来ないほどでした。
 今もまだ、父のリハビリは続いております。麻痺も残っていますし、思っていることと違う言葉が出ていることもありますが、文章を書いたり、話をしたりすることも出来、自分の身の回りのことも自分で出来ます。
 思い返してみると、祭典のことも、事務のことも、私が対応出来るように、神様が事前にあれこれと段取りして下さり、丁寧に育てて下さっていたのだと思わされます。
 いろいろと役目を頂いたその時には、「ちょっと面倒だな」とか、「自分にはとても出来ない」とか思ってしまうこともありましたが、いやいや、これも神様の御用だと受けてきていたことが、先々で慌てないですむおかげとなっていました。まさに父が倒れた時に母が言ってくれた「何事もおかげの中での出来事」なのだと思わせられます。
 自分の力で何とかしようとしていたら、私は潰れていたかも知れません。知らず知らずのうちに、私自身、ここまで神様からお育てを頂いていたことに改めて気付かされ、そのことを忘れないようにお礼を申しながら、日々生活していきたいと思います。

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