キジバト


●先生のおはなし
「キジバト」

金光教邑久おく教会
小林眞こばやしまこと 先生


 わが家の庭にキジバトが産卵するようになって、20年近くになった。数年前のこと。まず1度目の産卵は、いつもヘビくんがウロウロしている、生け垣の中だった。「そんなところに巣を作ったら、すぐにやられてしまうよ」と、何度も忠告してみたのだが、残念なことに言葉が通じない。案の定、卵を抱き始めて、2、3日後には、もう卵は見当たらなかった。だが、それくらいのことで、やはり彼らはくじけたりはしない。すぐに2度目の産卵だ。今度はいつもの藤棚の上。ところが悲しいかな、やはり結果は同じだった。
 何が気に入ってやって来るのか、彼らは毎年のようにやってくるのだが、この庭で子供がちゃんと育ったのは「たったの二羽」だけなのだ。それでも健気に巣を作り、産卵する彼らを見ていると、やってはいけないと思いながらも、ついつい肩入れをしてしまった。それは、電柱の支線についている、あの黄色のヘビ返し。ボール紙でそれを真似て作り、棚の支柱に取り付けてみたのだが、果たしてそれが功を奏してかどうか、3度目の産卵では、見事にヒナになるまでこぎつけたのだ。だが、それから先が問題だった。
 たいていの場合、ほ乳類と違って、鳥類はつがいで子育てをする。ところがある日、片方の親がいなくなったのだ。私は心配になった。いなくなったのは片足の悪かった方だ。何かトラブルでもあったのだろうか。それとも、「子育ては番でするもの」と私が勝手に思い込んでいただけで、ヒナがある程度まで大きくなれば、オスなのかメスなのかは分からないが、片方の親は子育てから離れるようになっていたのだろうか。
 それでもヒナたちは、日増しにぐんぐん大きくなり、必死で親鳥に餌をねだっている。親鳥はそれに応えるように、一羽っきりで、せっせと餌を運んでいる。
 記録的な猛暑の中での子育て、おまけに一羽での子育てとあっては、さすがにきつかったのか、ある日気が付くと、餌を運ぶのをやめて、一日中巣の近くの日陰でぐったりとしているではないか。相当疲れているのだろう、私がすぐそばに近づいても、逃げようともしない。
 「まさか」。私は急に心配になった。すぐに巣の中をのぞいて見ると、思った通りだった。不安は不幸にも的中してしまった。何ということか、前の日まで元気に鳴いていた2羽のヒナたちは、頭を垂れて少しも動いていないのだ。息を潜めてしばらく見ていたのだが、ピクリともしない。「これはきっと夢に違いない」。私は見ていられなくなって、巣から離れた。「見なかったことにしよう」。
 次の日、「きのうのことは気のせいに違いない」と自分に言い聞かせて、一縷いちるの望みを抱いて巣をのぞき込んでみたのだが、やはり状況は変わっていなかった。せっかく大きく育っていたのに、ショックだった。それでも、死んでしまったからといって、すぐに巣を片付ける気力など起きようはずもなく、それから3日後、いつまでもほうってはおけないと、暗い気持ちを引きずったまま巣を片付けようとしたのだが、そこにはまさかの展開が待っていた。
 改めて巣の中を見た時、私は我が目を疑った。中で何かが動いているのだ。ヒナたちだ。随分大きくなっている。「確かに死んでいた」と思い込んでいたヒナたちは、なんと生きていたのだ。「死んだようにジッとしていた」だけだったのだ。暑い昼間は、まるで死んでいるかのようにして、体力の温存を図っていたのだろうか。もちろん、外敵から身を潜める、ということもあった思う。
 親にしてみても同様で、ヒナたちへの餌やりも暑い日中の時間帯は避け、早朝の涼しい間にしていたのだろう。「自然には逆らわない」。これが、厳しい自然の中で生き抜く鉄則だったのだ。
 しかし、安心したのもつかの間、それからがまた大変だった。その後、台風の直撃を受けた巣は、片方のヒナを藤棚に残し、一羽のヒナと共に地上に落下してしまったのだ。それでも私は、今度こそ手出しするのを我慢して、事の成り行きを黙って見守ることにした。
 案の定、私の心配をよそに、落下したヒナはたどたどしい足取りながらも、雨風の当たらない場所まで自力で移動していった。まだ飛ぶことはできなかったが、幸いなことに、歩き回れるまでに成長していた。
 外敵、猛暑、台風と、確かに自然の中での子育ては大変だ。そのことを考えているうちに、「今までにたったの二羽しか育たなかった」などという私の考えは、浅はかだったと思うようになった。本当は厳しい自然の中では、「今までに二羽も育った」というのが正しいのではなかったのか。それに産卵する度に、ヘビに卵やヒナを食べられてしまうくせに、それでも産み続ける彼らを見ていて、私は最初の頃、「性懲りなくまた産んでいる」などと思ったことがあったのだが、それもまさに、人間のおごりきった考えだった。彼らにしてみれば、ただひたすら、天地という無償の愛に抱かれて、生かされるままに生き、おかげで授かった生命を必死で守ろうとしているだけだった。
 確かに、人間と彼らの生活とでは大きく違う。それでも、子育てということにあっては、それがたとえ命がけであったとしても、そこには欲も得も、そんな打算めいたものは一切存在することのない世界だったのだ。
 やがて二羽のヒナたちは、枝の上と地上とで無事に飛べるまでに成長した。それを見届けると、命がけの子育てなどまるで何もなかったかのように、親鳥は静かに姿を消してしまった。
 親の愛もまた、いかなる場合でも、子どもに対して何の見返りも求めない、無償の愛だということを改めて思い知らされた出来事だった。

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