神様からの応援歌


●先生のおはなし
「神様からの応援歌」

金光教東旭ひがしあさひ教会
平阪真太郎ひらさかしんたろう 先生


 私がある喫茶店でアルバイトをしていた頃のお話です。マスターは、本業を他に持っていて、そちらが忙しくなると、喫茶店には顔を出せない日も多くあり、私はその都度、お店を一人で任されました。しかし、一時にどっと大勢のグループ客が入ってくることもしばしばあり、複雑なメニューの注文が重なると、とても一人では対処できません。助けを呼ぼうにも誰もいません。そんな時、私は必ず「神様、応援して下さい!!」と、心の中で祈りました。
 というのも、私は金光教の教会で生まれ育ち、両親から「何をするにも神様にお願いしてからさせてもらいなさいね。神様が力を足してくれるから」と教えてもらい、お願いすることが自然と身に付いていました。この喫茶店でも、「一人」ではなく、「神様と一緒に」仕事をさせてもらおうと、取り組んでいました。すると、とても一人で対応しきれないようなことが、スムーズにできてしまうのです。そんな光景を見ていた常連のお客様にはよく感心されました。
 しかし、そうして褒められると「俺ってすごい!」と、まるで自分の力でできたかのように錯覚してしまいがちでした。おもしろいもので、そういう慢心が出ると、何でもない時に大きなミスをしてしまうのです。
 「慢心は大怪我のもと」という金光教祖の教えを、身をもって体験させてもらいました。
 ある時、大人数のお客さん、異なる注文に、店内を駆け回り、何とかクレームもなく終えてほっと一息。「あ~疲れた」と椅子に座ってタバコに火をつけ、片付けを後回しにして先に一服したのです。その瞬間、マスターが外出先から帰ってきました。「しまった! さぼっているみたいに思われてしまう!」と思いましたが、もう手遅れでした。マスターは黙ってお盆を手に取り、そのままにしていたテーブルのコップなどを下げ、無言のまま出て行ってしまいました。その背中は明らかに怒っているようでした。「ずっと動きっぱなしやったから、先にちょっと休憩しただけやのになあ…」と思いながらも、私はとても落ち込みました。
 その後、お客さんが帰り、一人になりました。お客さんがいない時には、これまでも、掃除はもちろん、目立たない所など隅々まで磨いたりしていました。それは、指示されてではなく、良い条件で働かせてもらっている恩返しのつもりでした。この時も、私は雑巾とワックスを持って磨いていきました。ところがしばらくして、いつもと違う感情が湧いて来たのです。「こんな目立たん所一生懸命磨いても、マスター、どうせ気付いてくれないやろなあ…」「マスター、こんな時、ひょこっと顔出してくれへんかなあ…」。外をちらちら見ながらの作業になっていました。
 そう、さっきの失敗もあるから、名誉挽回したいと思っていたのでしょう。いつしか「無償の恩返し」ではなく、マスターの顔色を窺うようになっていたのです。結局、マスターは現れず、諦めて一服。すると、またしても、その瞬間にマスターが登場…といった具合に、悪循環極まりありません。
 「何で、よりによっていつもこんなタイミングに現れるんやろう…」。このようなことが何度か続き、私はマスターの信頼も失い、行き詰まってしまいました。これまでの自信はどこへやらです。
 私は、ふと、これまでの人生を振り返りました。持ち前の要領の良さで、順風に過ごしてきましたが、それは一方で、人目を気にしながらの人生でもあったように思うのです。調子の良い時は、自分の力でできたと喜び、悪い時には極端に落ち込みました。人目を気にして行動し、思いが左右されてしまう自分が嫌になってきました。
 そして、これではいけないと思い、私は決心しました。「この仕事も、言わば、神様に紹介してもらったお仕事。だから、もう、マスターが見ている見ていないに関わらず、ただ神様から頂いた仕事に誠実に奉仕しよう」と思ったのです。お客さんは、神様が呼んで下さった人、そう思えば、どんな人でも大切にできました。とにかく、良いことも悪いことも、誰も見ていなくても、神様がご覧になっている。そう心を切り替えた時、これまでの薄もやがすっきりと晴れ、清々しい気分になれたのです。
 結果的に、マスターから絶大な信頼を得ることになりました。「おまえは、誰に対しても親切に接客してくれてるなぁ」「おまえは、いつも店内の隅々まできれいにしてくれてるなぁ」「おまえは、どこに出しても大丈夫な人間や」。そう、マスターは、私の仕事ぶりを見ていないようで、しっかりと見てくれていたのでした。
 人に良いところだけを見てもらおうと心を削らなくても、神様がご覧になっていると思うと、人にも優しくなれ、起きてくる出来事にも不安なく、丁寧に対処できる。そして、自分の心も清々しく、最終的には、人にも認めてもらえることになるのだなあと実感しました。確かに、私が経験したのはたった一つのアルバイトに過ぎません。しかし、神様は、このことを通して、何をするにも通用する普遍的な道理を教えて下さったように思うのです。
 ラジオをお聴きの皆さん、今日一日、何をするにも「神様と一緒」という姿勢で過ごしてみませんか? そして、起きてくる出来事に耳を澄ませてみて下さい。きっと、温かい応援歌が聴こえてくることでしょう。

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