●こころの散歩道
「夫婦の算数」
金光教放送センター
ある女子大で教壇に立っている友人が聞いてきた。
「最近の女性は、結婚もしたくない、子どもも欲しくない、という人が多いが、その理由は何だと思う?」と。
「うーん、何だろう。お金がかかるからかな。それとも自分の時間が取られて面倒くさいと思うんだろうか」
すると友人は「そういう理由もあるが、ダントツは、『子育てしている大人がうれしそうでない。楽しそうでない。そんなにしんどい結婚や子育ては、したくない』ということなんだ」と言った。
この質問は、入学したばかりの女子大生に毎年しているらしい。そして、決まっていつも同じ理由が返ってくるという。
若い人たちの身勝手さを責めるような気持ちでいた私は、不意に手痛い反撃を食らった気がした。正に、親の背中、大人の背中を見て、子どもは育つのだと、改めて思い知らされた。
私たち夫婦は、子どもにどう見られているのだろうか……。
私たちも結婚して30年を迎えた。その30年前の披露宴の席で、ある人生の先輩がニタッと笑って言って下さった。「今日は、夫婦学校入学おめでとう! 2人揃って、夫婦学校に入ったんだから新入生として、一年一年、良い関係を築いて進級していって下さい」
その先輩は、続けて奇妙なことを尋ねた。
「ところで、夫婦学校の算数では『1+1が4』になるのを知っているかい?」
「えっ! それはどういう計算ですか?」と聞き返すと、その訳はこういうことだった。
「お互いを思いやる良い夫婦は、自分の力に相手の力も加わって、1人で2の力になっている。その2の力同士が足し合うわけだから4になるんだ。逆に、悪い関係の夫婦では『1+1がゼロ』になる。お互いに相手の力を削ってしまうから、足しようがない」
なるほど、夫婦学校はなかなか難しそうだな、と思いながら神妙に聞いたのを懐かしく思い出す。
この30年を振り返ってみて思うことがある。よくけんかもしてきたが、よく謝ってもきた。けんかの後、いつも心にわき上がってくる「悪かったな」という思いを、素直に言葉にしてきたのである。大方、短気で大きな声を出す私の方が悪い。それでも、謝り続けたおかげで、ゼロにはならず、1くらいには留まってきたように思うのである。
3人の子どもの出産に進級進学。あの阪神・淡路大震災で全壊した家の新築。そして、親の介護に死別、子どもの結婚に孫の誕生と、その節々を夫婦で取り組み、時にはけんかしながらも、「1+1」が、できれば4になるよう努力してきた30年であった。
4年前のことだ。長男の結婚式前夜、私は長男と杯を交わした。すると、長男の幼い頃の話に花が咲いた。彼が言うには、当時の思い出の大半は、私が大声で妻を叱るのが、とても怖かったことだという。子どもに心配ばかりかけてきたんだなぁ、と反省させられた。
そんな話をしながら飲んでいると、いつの間にか日付も変わり、だいぶん酒の量も増えていた。そこで長男が、照れ臭そうに、酔いに任せて言った。「僕たち2人、お父さんたちのような夫婦になります。じゃ、お休み。明日よろしく!」と。私は泣きながら「ありがとう…ありがとう…」と何回も言いつつ寝たらしい。
北国に住む2匹のヤマアラシが、寒さに震えて体をすり寄せる。すると互いの針が当たって痛い。それでも、体をすり寄せないと凍えて死んでしまう。寄り添っては離れ、寄り添っては離れしていくうちに、適当な距離が分かってくるようになる。
いつか、知人からそんな例え話を聞いたことがある。そして彼は言った。「お宅の家族は、みんなが、いつも『ありがとう!』と言い合っておられるので、感心しているんですよ。感謝の言葉が、良い距離を保つコツなのかも知れませんね」と。
たとえ夫婦の間でも、兄弟の間であっても「ありがとう」と言える家族でありたい。それは「お世話になって生きているのが人間」だからだ。
子どもは親の背中を見て育つという。決して立派とは言えない私たち夫婦の背中を、3人の子どもたちはずっと見てきた。
そして今は、孫も見ている。私たちの背中を見て、孫は何を感じ、何を思うのかは分からないが、孫と共に育つおじいちゃん、おばあちゃんでいたい。
幼稚園に行く孫が言った。「おじいちゃん。大きくなったら何になりたい?」。ものすごく戸惑ったが、それでもいろいろ考えていたら、何だかワクワクしてきた。
よし! 今度は孫が「おじいちゃんたちのような夫婦になります!」と言ってくれる日を楽しみに長生きするか!