わが家の園芸日記


●こころの散歩道
「わが家の園芸日記」

金光教放送センター


 私は、地方都市で会社に勤めている。結婚して、妻と2人、アパート暮らしを楽しんでいたが、子どもができたのを機会に、会社の家族宿舎を申し込んだ。その方が、ぐっと生活費を節約できるからである。生来、くじ運の悪い体質なので、いい宿舎が当たるとは期待していなかった。
 ところが、である。すばらしい宿舎が当たったのだ。車が無いと買い物には不便だが、何と一戸建てで庭付きの宿舎である。庭付きの家に住めるという幸運に、私たち夫婦は小躍りして喜んだ。さあ、この庭で何をしよう。そうだ。花壇を作ろう。花を育てるのだ。
 こうして、花壇での奮闘の日々が始まった。

 さて、何を植えよう。妻に、好きな花はあるかと聞いたら、コスモス畑が好きだという。そこで、コスモスの種を買ってきて、まいた。3月植えである。夏過ぎにまくのと比べ、成長期間が長いため、ぐっと大きく育ち、たくさんの花を付ける、とは、にわかに買い込んだ園芸本からの知識である。
 じょうろで1日2回水を与える。土の湿り気を欠かしてはいけない。しばらくすると、芽が出た。何とみずみずしい色をしていることか! しかし、なかなか成長しないな、と思っていたら、ある日、小雨が一日降った。すると、芽がぐぐっと伸びた。それ以来、嫌いだった雨が待ち遠しくなった。
 予定通り、コスモスは、すくすく成長した。夢のコスモス畑まで、もう少しである。
 ――ところが。
 9月に入ったある夜、強い風が吹いた。朝起きると、コスモスは、すべてなぎ倒されていた。成長し過ぎたため、風にもろいのである。私は、竹を切って、花壇の周りに垣根をこしらえ、コスモスたちを支えた。次の夜、また風が吹いた。コスモスたちは、垣根ごとなぎ倒された。私は、四隅に金属の杭を打ち込んで垣根を補強した。さらに、縦横に何本もひもを張ってコスモスたちを支えた。次の夜、また強い風が吹いた。コスモスたちは倒れなかったが、支えにしたひもの部分で、くしゃっと折れた。
 大自然に刃向かうには、知恵も力も足りないと悟った私は、垣根を外し、成り行きに任せることにした。コスモスたちは、風に倒されながらも、茎の根元に近い部分や先端の部分を持ち上げ、地にはってうねうねと成長しつつ、大空に向かって茎を伸ばし、花を咲かせていった。それは、花壇を大きくはみ出し、予定したより2倍近い面積に広がって、計画とは違うけれど、色とりどりの立派なコスモス畑となったのだった。

 ある年には、ケイトウの種をまいた。鶏のトサカのような形をしたケイトウではなく、ロウソクの炎のような形に育つケイトウである。やがて芽が出てきたのだが、まく時に風で飛んだのか、花壇とは離れた庭の真ん中にも芽が出た。すぐ枯れるだろうと思っていたが、成長の速度は遅いものの、ゆっくりと育ち続けた。やがて、花壇のケイトウたちは、赤や黄色やオレンジの、鮮やかな花を咲かせていった。少し遅れて、花壇の外のケイトウも花を咲かせた。黄色のなかなか大きな花房だけれど、野良犬の毛並みのように、ところどころはげたような部分がある。それでも、茎もずいぶん太く育って、たくましさを感じさせた。
 時は過ぎ、花壇のケイトウたちの色はあせてゆき、霜が降ると、枯れていった。なのに、はぐれ咲きのケイトウは、枯れる気配がない。やがて、1月となり2月となったが、まだ咲き続けている。私は、なかなかそのケイトウを抜く気になれなかったが、3月になって、花壇に新しい種をまくころ、「今日までよく頑張ったな」と声をかけ、抜こうとした。
 抜けない。
 カスカスに枯れているだろうと思った茎は、棍棒のように固く、その根はしっかりと大地をつかんで、放そうとしない。私は、なおも力を加えていった。やがて、バキッ、というすさまじい音がした。ついにケイトウが折れたかと思ったら、土が引き裂かれた音だった。続いて、バリバリッ、ミシミシッ、という音をさせて、ケイトウは、やっと地面から離れた。反動で尻餅をついた私は、抜けたケイトウを見て、あぜんとした。
 あり得ない。ケイトウというのは、真っ直ぐ下のほうに根を下ろす。ところが、このはぐれ咲きのケイトウは、四方八方に、信じられないほど大量の根を張っていたのである。網の目のように細やかで、針金のように強い根だった。

 花壇に芽吹いたケイトウたちは、育ちやすい柔らかな土壌と、あふれんばかりの栄養を受け止めて、苦労知らずに美しい花を咲かせていった。しかし、このケイトウは、固く栄養のない土地に芽吹き、必死に根を張って、生き延びてきたのだ。そして、立派に花を咲かせ、最後は化石のようになりながら、立ったまま命を終えていたのだ。その生命力の強さを目の当たりにして、私は、感動を覚えながら、随分長いこと、庭に座り込んでいた。

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