●信者さんのおはなし
「青葉城の石垣」
金光教放送センター
武史は言った…。
「母さん、オッオレ…、結婚したい人がいるんだ」
息子の表情から「これは何かある」と感じた。
わたしの名前は松島和子。仙台から息子に会うため上京してきた。
「突然のことで、母さん驚いちゃった。武史にそんないい人がいたなんて、気付かなかったわ。でも~、あなたまだ学生でしょ」
武史は都内の大学に通う学生で、4回生。久しぶりの再会だった。
「それでどんな方なの」
「とってもいい人、年上なんだ」
「えっ、年上の方」
「そっ、そうなんだ…、バイト先で知り合ったんだけど…。付き合って2年になるかな…」
うつむいたまま、ポツリポツリと話し続ける武史に、私はどこか不安がぬぐいきれない。
「あなたも就職が決まって、母さんもやれやれって、ホッとしたとこなのよ」
「うん、分かってる」
「相手のご両親は、そのことご存じなの」
「彼女の親もOKしてくれてる。向こうの両親にも会って欲しいんだ」
すでに、話が随分進んでいることに、改めて驚かされる。そして武史の思い詰めた気持ちもひしひしと伝わってくるのだった。
「母さん、実は…」
「何? まだ他にあるの?」
「実は彼女、一度結婚していて、子どもが2人いるんだ」
来たっ! と思った。そして必死に冷静を装った。
「2人お子さんがいらっしゃるの?」
「7歳と5歳」
武史が顔を上げられない原因はこれだったのかと、すべてを聞かされた私は、心臓の高鳴りを抑えることができなかった。そして長い沈黙。
(…結婚となれば、息子は一家を支える大黒柱。ところがその息子はまだ学生。おまけにお相手にはお子さんまで…、大丈夫かなぁ…)
考えれば考えるほど不安が広がる。
その時だった、私の脳裏にいつも離れぬあの人の姿が、また浮かび上がってきたのだった。
あれは戦争中のこと。当時2歳だった私は疎開先で疫痢にかかり命を失いかけた。薬も何もない中、看護士だった母は、手元にあった蒸留水を弱り果てたわたしの口に何度も含ませ、それで助かったという。
「あの時は、お水に『金光さま』とお祈りしながら、お前に与えたんだよ。それで命のおかげを頂いたんだよ」と、よく聞かされた。
「あぁ、お母さんの祈りって、何てありがたいんだろう」と、何度聞いても深い愛情を感じたのだった。こんなこともあった。
次男の武史を出産した翌年、36歳のわたしに乳がんが見つかった。それまでも、慢性腎炎で、何度も入退院を繰り返していたが、追い打ちをかけるようながんの宣告。
「どうしてわたしだけこんな目に…」と、つい母に泣き言を言った。
すると「そんな、わたしだけ、なんて思ったって駄目なんだよ。これは現実にちゃんと起きていることなんだから、しっかり受け止めて…、神様に命のおかげを頂くようにお願いをしないと、強い気持ちでいないと助からないんだよ」と、祈るように語りかけてくれた。
「あんた、あの子たちを何としてでも育てなきゃいけないんだよ。2人の子どもを残して死ねないんだよ」。そう言ってずっと手を握ってくれた。
その時の手の温もりが鮮明に思い出される。あの時、余命1年と言われたわたしもすでに54歳になっていた。
とにかくいつも母に助けられながら暮らしてきた。母へのありがたくて忘れることができない恩がいつも心の底にある。
その母も、突然、脳溢血でこの世を去った。69歳。何一つ恩返しのできないまま。
(…お母さん…)
いつも脳裏に思い浮かぶ母。わたしが一歳半の時に、父親が再婚して、母となった人。父親の開業している小児科で働いていた看護師だった。
わたしはその人にとても可愛がって育てられた。弟や妹が生まれてからも、何はさておき、わが子よりもわたしを先にというほどだった。
「わたしもお母さんに育ててもらったんだ。武史にもできないはずはない。いや、きっとお母さんも喜んでくれる。育ててもらったお母さんへの恩返しを武史もしてくれる。ひょっとすると神様がそうさせておられるのかも…」
聞くと、すでに武史は幼稚園の送り迎えも手伝ったりして、子どもたちともとても上手くいっているという。
「武史…」
「なに? 母さん…」
「これは神様から頂いた特別なご縁かもしれないって母さん思えてきたわ…」
「どういうこと、母さん」
「とにかく、幸せにならなくっちゃね、武史。これから大変よ。2人のお父さんなんだから。しっかりやんなさいよ。母さんも応援するわ」
「ありがとう。オレ、頑張るよ」
あれから15年。久しぶりに仙台へ里帰りした息子たちと歩く青葉城公園。
(…神様のおかげって、本当にありがたいなあ…)
言葉にならない喜びがわたしの中から自然とあふれ出てくる。
「ばあちゃん、石垣が立派だね」
「そうなの、青葉城は石垣が有名なのよ」
すっかり青年になった孫の笑顔につい釣られる。その時、またも母のことが思い出された。
「あんた、あの子たちを何としてでも育てなきゃ、いけないんだよ」
あれは、再婚した時の母の心そのものだったのではないか…。今にして気付く、母の心。
わたしもすでに亡くなった母と同じ年になっていた。
孫と見上げる高い石垣。その先には澄み渡った空が広がる。
その吸い込まれそうな空に、わたしの心がとけていく。
ほおに一筋の涙が伝った。
「お母さんありがとう」