心のよりどころ


●信者さんのおはなし
「心のよりどころ」

金光教放送センター


 「どうしてこういうことになるんだろう。これからどうしていったらいいんだろう」
 岡山市に住む河本博志こうもとひろしさんは今から5年前、47歳の時にどうにもならない問題を抱え込んで、窮地に陥っていました。  
 博志さんの人生は、47歳のその時まではおおむね順風満帆でした。ただ一度、小学校6年生の時に心臓の検査入院をしましたが、精密検査の結果は異常なしでした。その時、実は、彼の両親とおばあさんが金光教の教会へ参拝し「博志が無事でありますように」と教会の先生と共に一心に神様にお願いしていたのでした。  
 博志さんはそのことを聞いていて、子ども心に恩を感じていたので、ずっと教会へお参りしていました。その後、学校を出て就職、そして結婚。3人の子どもにも恵まれ、その子どもたちも順調に成長して、とても幸せな暮らしぶりでした。また、博志さんのお父さんお母さんも元気な上におばあさんも健在で、8人家族という最近では珍しい大家族で仲良く暮らしていたのです。毎日がありがたくて、毎週日曜日には教会へ親子でお参りし、神様にお礼申していました。  
 ところが、幸せな日常も流れるように続いていくとありがたさが薄れてしまうのでしょうか。何事もなく暮らしていけることがつい当たり前になってしまい、次第に教会から足が遠のいていったのです。それからしばらくたって、博志さんの職場が大変な時期を迎えました。  
 博志さんは信用金庫で働いていましたが、ついには破綻はたんとなり職を失うこととなりました。また時を同じくして、小学生の次男が朝になると決まってお腹が痛いと訴え、学校に行けなくなったのです。さらに博志さんのお母さんが交通事故に遭い、入院ということになりました。そのうえ、95歳のおばあさんは介護のため施設に預かってもらっていましたが、どうしても家に帰りたいと博志さんに訴えます。  
 「どうしてこういうことになるんだろう。いったいこれからどうしたらいいんだろう」  
 博志さんは、自分の仕事のことだけでも精いっぱいなのに、矢継ぎ早に次々と家族の問題が押し寄せてきて、何をどうしたらいいのかもう分からなくなってしまいました。途方に暮れていた博志さんが向かった先は、10年ほど足が遠のいていた教会でした。  
 「先生、助けて下さい」とわらをもつかむ思いの一言から始まって、その後は何をどのように話したのか覚えてないほどに、教会の先生にたまりにたまったものを聞いてもらっていました。先生はいつ終わるとも知れない博志さんの話を、じっと、また包み込むように聞いてくれました。そして博志さんが話し終えたのは夜もかなり更けたころでした。その時の博志さんは、話を聞いてもらえた満足感と教会へ久しぶりに参拝できた安心感で、少し和らいだ気持ちで家に帰っていきました。
 その翌日からは毎日教会参拝を続けました。先生から、「一心にお願いしなさい。そして、少しでも喜べることを探して、見つかればそれを風船のように膨らませていきましょう」との教えを頂きました。たくさんの問題を抱えている博志さんでしたが、一つひとつ教会の先生に話を聞いてもらって、先生が神様にお願いして下さることで勇気づけられ、前向きに取り組むことができてきました。すると、不思議と問題も解決へ向かっていくのです。  
 まず、お母さんの交通事故ですが、実は大変なおかげを受けていたのです。車が大破した大きな事故で、一つ間違えば命を失ってもおかしくないくらいだったのに、軽い打撲で済み、わずか一カ月で退院することができました。そして、母親の退院後、おばあさんも本人の願い通り施設から出ることがかない、在宅ケアをすることになりました。  
 その際、不登校だった子どもが進んでおばあさんのお世話をするのです。博志さんは大変びっくりしました。学校に行けないというマイナス面ばかり見ていたのに、優しくて思いやりのある子に育っていたことを忘れていた、そのことを喜ばないと、と反省させられました。それからは、できるだけ子どもと向き合って色々と話をするように努め、一緒に教会参拝もできるようになりました。すると少しずつですが、学校へも行けるようになったのです。  
 さらに博志さんの再就職先も見つかりました。それは以前の仕事とは全く違った業務内容で、人間関係も難しい職場でした。博志さんは仕事が終わると毎日教会へ参拝し、先生に職場のことを一つ一つ話をして、神様にしっかりお願いして取り組んでいきました。すると、最初はぎくしゃくしていた職場の人間関係も段々スムーズになってきたのです。  
 教会の先生は、博志さん自体が変わってきたのだと言います。博志さんは、自分のことだけでなく、家族一人ひとりのこと、職場の人のこともお願いするようになりました。すると「神様が見守ってくれている、教会の先生が祈ってくれている」という安堵あんど感もあり、どんなことにもくじけない強い心で取り組めるように変わっていったのです。
 今、博志さんは5年前のどうにもならない状況を振り返ってみて「あの時、教会があって本当に良かった」と感慨深げに話します。博志さんにとって教会はなくてはならない大切な場所であり、心のよりどころとなっています。  
 今日も博志さんは元気に職場へ向かい、仕事が終わると欠かさず教会へ参拝し、少しでもお役に立つ生き方を目指しています。

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