井戸の掃除をするように


●信者さんのおはなし
「井戸の掃除をするように」

金光教放送センター


 「信心というのは、井戸にたまった泥を掃除するようなものなんだ。中途半端でやめてはいけない。濁った水を辛抱強く、最後の最後までくみ出さなければ、奇麗な水にはならないからね」
 これはもう30年以上も前、恵美子えみこさんが、今は亡きお父さんから聞いた言葉です。その口ぶりは、もうすぐ嫁いでいく娘へのはなむけの言葉のようでもあり、お父さんが自分自身に言い聞かせているようでもありました。この言葉は、年とともに重みを増し、今も恵美子さんを支え続けています。
 恵美子さんは昭和28年、静岡市に生まれましたが、恵美子さんが5歳、妹が2歳の時、お母さんが出産の事故で亡くなりました。
 新しいお母さんがやってきたのは、それから1年後のことでした。よく働く人でしたが、激しい感情がすぐ言葉や態度に表れ、とくに子どもたちに対しては、何かにつけ厳しい言葉が浴びせられました。
 今になって考えれば、当時の生活は貧しく、仕事や家事に明け暮れる中で、実の娘でもない手の掛かる子どもたちに、こまやかな愛情を注ぐ心の余裕などなかったのでしょう。
 しかし、幼い子どもにそんな事情など分かるはずもなく、母親の言葉に、恵美子さんたち姉妹は深く傷つき、憎しみや恨みばかりが心の底に積み重なっていくのでした。
 20歳の時、押さえ込んできた思いがついに爆発する出来事がありました。
 トイレの掃除をしていた時のことです。「トイレ掃除をする時は、ああして、こうして…」と、前もってお母さんから細かく注意を受けていました。ところが恵美子さんは「またいつものガミガミが始まった」と思って聞き流していたのです。
 掃除の途中、いきなり後ろから怒鳴り声が響きました。
 「何、そのやり方は!」
 そして次の瞬間、パシッと頭を叩かれたのです。「何するのよ!」と恵美子さんも反発して口げんかになり、その勢いで、妹と連れ立って、家を飛び出していったのでした。もう二度と帰らない覚悟でした。お父さんと別れるさみしさはありましたが、このお母さんとは居られない、という思いの方がはるかに強かったのです。
 家を出た2人は、同じ市内に住んでいた祖父の家に身を寄せ、以来そこで生活することになりました。  
 やがて祖父の勧めもあって、恵美子さんは金光教の教会に久しぶりにお参りするようになりました。実家でも時折、父に連れられてお参りしていたので、教会の先生は、自分の生い立ちも、家出をした事情も、何もかもよくご存じです。お参りする度に、温かいものに包まれるような安心感を覚えました。
 そんなある日、先生から、思いも寄らない話を聞いたのです。
 「昔、お母さんがあなたのことで、泣きながらお参りに来られたことがあったんだよ」
 それは耳を疑うような一言でした。詳しく聞いてみると、恵美子さんが小学4年生の時のことでした。
 学校でふざけて遊んでいる時に、窓から転落して頭を打ち、入院したことがありました。病院のベッドに上がったまでは覚えていますが、気が付いた時にはもう3日が経過していました。
 意識を失っていた3日間、脳にたまった血の塊を取り出す非常に難しい手術があり、その後も高熱が続いて生死の境をさまよいました。その間ずっと恵美子さんに付き添っていたのは、他でもない、あのお母さんだったのです。
 そしていよいよ危ないという時、教会に飛び込んで来て、そこに祭られている実のお母さんの霊前にぬかずき、「あなたの大事な娘さんを預かっていながら、私が至らないばっかりに、こんな目に遭わせてしまいました。ごめんなさい」と、声を上げて泣きながら謝っていたというのです。そんないきさつの中で、恵美子さんは辛うじて一命を取り留め、意識を取り戻したのだということでした。
 私につらく当たってばかりいたお母さんが、教会に参ったこともなかったお母さんが、私のために祈ってくれていた。考えてみれば、5歳から20歳まで、嫌なこともいろいろあったけれど、世話になり続けて、今自分は生きている。そのことにお礼を言ったことが一度でもあっただろうか…。
 それは、恵美子さんの心の奥に固くこびりついた長年のわだかまりが、じわりと溶け始めた瞬間でした。
恵美子さんは時折、用事を作って実家を訪れることにしました。しかしお母さんは、こちらの気持ちをなかなか素直に受け止めてはくれません。「何をしに来た!」というとげとげしい態度に、また心が冷え固まることもありました。
 結婚してからも、正月やお盆など、折に触れて子どもを連れて里帰りしていますが、30年以上たった今でさえ、お母さんのよそよそしさは変わりません。それほどに、お母さんが受けた心の傷も深いのでしょう。
 お母さんは晩年のお父さんを、一人で献身的に介護してくれていました。そのことへの感謝も込めて、もっともっと、優しく接していきたいと思う一方で、つらかった子ども時代を思い出すと、恨みがましい気持ちが、またわき起こることもあります。
 そんな時、恵美子さんはお父さんの言葉をもう一度かみしめるのです。
 「信心は井戸にたまった泥を掃除するようなものだ。奇麗な水になるまであきらめず、辛抱強くくみ出すんだ」
 教会に足繁くお参りしていたお父さんは、自分の心の泥ばかりか、家族みんなの不満までも黙って吸い取って、神様のところに運んでくれていたのでしょう。
 恵美子さんは、そんなお父さんの生き方を、しっかりと受け継いでいきたいと願っています。

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