祈りには必ずおかげがつく


●信者さんのおはなし
「祈りには必ずおかげがつく」

金光教放送センター


 岡山県総社そうじゃ市にお住まいの平田耕一ひらたこういちさん78歳は、3年程前から、心の中でふと思うことをそのままノートに書き留めています。人間には神様が心を授けて下さっている。その心がふと思うことを大切にしたいと思ったのです。平田さんはそれに『ふと思う記』と名付け、今ではもう4冊目になります。
 このノートのあるページに「祈りには必ずおかげがつく」という言葉があります。
 今少し、平田さんの人生をさかのぼってみます。
 平田さんのお母さんは、終戦後、ご主人を残して、一足先に満州から引き揚げてきました。当時12歳の平田さんを頭にわんぱく盛りの子ども5人を連れ、幾度も生死の境をくぐりぬけて帰国し、総社に住む身寄りを頼ったのですが、何しろ母子6人もの家族です。厄介になるわけにもいかず、他に頼れる当てもなく途方に暮れてしまいました。そんな時、ふと神様のことが思い出されました。お母さんは満州に居た時、金光教の教会にお参りしていました。すぐさま総社にある教会に駆け込み、先生に事情を話し、たまらぬ思いをぶちまけました。
 先生は、お母さんの話をじっと聞いて下さいました。これからの生活のことにも相談に乗って下さり、昼間は子どもを教会で預かってもらい、反物の行商に出ることになりました。先が見えない不安でいっぱいだったお母さんには、初めて一筋の明るい光が差し込んできたような思いでした。
 それからのお母さんは、毎日教会にお参りしてから行商に行き、仕事を終えるとどんなに遅くなってもまた教会にお参りして、その日のことを報告してお礼を言います。食うや食わずの生活ながらも、おかげで何とか日々の生計が立つようになってきました。 
 「教会へお参りしてから商売に行ったら、必ず儲かる」とお母さんは言っていました。そんなお母さんに連れ立って、平田さんも時々お参りしていました。お参りしてから商売に行くと儲かるのなら、自分もお参りして応援しよう。自分たち子どものために苦労して一生懸命に働くお母さんを見て、長男である自分も何か手助けをしたい思いでいっぱいでした。何より、教会へお参りすると「よう参った、よう参った」と、お母さんはものすごく喜ぶ。そのことが子ども心にとてもうれしかったのです。
 そんな事情ですから、平田さんは中学校を卒業したらすぐ働くつもりでいましたが、教会の先生は「小さい望みには小さいおかげしか現れない。大きな望みを持って、一心に神様にすがっていけば、やがて大きなおかげを頂けるから、小さい心を出すなよ」と励まして下さり、親子ともにその気になり、平田さんは、高校、大学へと進み、やがて中学校の教員となりました。
 しかし、勤める学校は荒れに荒れておりました。夜中に学校に来て、天井裏に上がってたばこを吸う生徒、たばこの火が原因でボヤが出たこともありました。集団で他の学校へ殴りこむ事件など、次々と問題は後を絶ちません。
 平田さんは、いつしかお母さんと同じように、学校へ行く時には、必ず教会へお参りしていました。起こってくる問題にどう対処したらいいのか、生徒にどう指導したらいいのか分からない。分からないながらもじっとしてはおれなくて、神様に祈らざるを得なかったのです。
 教会の先生にお話しすると「何もせんでよろしい」と言われました。自分で何とかしなければと、追い詰められ、せき立てられていた平田さんに「自分だけで何かしようと思わず、しっかりと神様にお願いをしてから、事に当たるように。小手先で解決しようとするなよ」という願いのこもった言葉でした。
 結局、何か特別なことをしたからこうなったと言えるようなことはありませんでしたが、事が起こる度に、神様に縋りながら問題に向き合うことで何とか通り抜けてきました。そういう毎日の積み重ねで、気がつけば36年間、定年を迎えるまで一日も休むことなく勤めあげることができたのでした。
 平田さんは「お参りしてから商売に行ったら必ず儲かる」というお母さんの言葉を思い出します。自分も同じようにお参りしてから仕事に出掛けるようになりましたが、お母さんのように、そうすると必ずおかげが頂けるという強い信念を持っていたわけではありません。しかし祈り続けたことで、辛抱する力、耐える力、やりぬく力、そういった力を神様から頂いたと、今さらながら思います。
 お母さんが、足にたこが出来ても、豆が出来ても、疲れた重い足を引きずりながら、反物を背負って朝早くから夜遅くまで山坂を越えて行商して回った。あの頑張りはどこから出てきたのだろうか。
 今になって振り返ってみると、教会に参拝して、先生の励ましに力付けられ、共に祈って下さっていることの安心感がお母さんの強い支えになっていました。たとえ、たくさん売れなくても一つ高い物が売れたり、何も売れなくても、野菜などの食べ物をもらって帰ることができたりと、一つひとつのことが神様のおかげとお母さんは感じていました。
 「祈りには必ずおかげがつく」という信念をもってのお母さんの生き様に思いをはせながら、今の自分は、お母さんのこの姿に支えられてきたのだと思うのです。
 そんな思いを乗せて、平田さんは『ふと思う記』のページに「私の人生は築き上げた人生ではなかった。こうなっていた人生。母の信心が、いつも私の人生に付きまとってくれていたように思う」とつづるのでした。

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