●信者さんのおはなし
「千五百キロ離れていても」
金光教放送センター
時は冬。場所は北海道。今から12年前のことです。ゲレンデの上級者コースで、愛さんはある男性とぶつかって転びました。彼女の友人たちは、その男性を取り囲み「食事ぐらいはおごってもらわないと」と冗談混じりに2人の劇的な出会いを祝福してくれました。
彼女は彼と交際するようになり、やがて結婚へと至ったのです。愛さんは当時、大阪で薬剤師として勤め、何事にも積極的なアウトドア派の女性でした。
北海道に嫁いで行く時、その心の中には、どんな家庭を作っていくか、どんなふうに妻として、主婦として、一人の社会人として生きていくか、そんな未来図が、希望いっぱいに描かれていたはずです。ところが……
初めは、ひどい肌荒れぐらいにしか思いませんでした。体のあちこちの皮膚が痛むのです。車に乗れば、シートの冷たさがこたえ、お尻の皮が、ごわごわします。服を着れば、縫い目が痛く、そのうち、タオルケットを巻いて寝るようになりました。やけどしたようなあとが顔にまで広がり、仕事も続けられなくなりました。のどの粘膜も痛み「いつ気道が締まってしまうか」と、恐怖を感じながら毎日を過ごすようになりました。ついには、最低限の用事をする以外、寝て過ごすような生活になりました。
全身アトピーと化学物質過敏症、という診断でした。気候の変化による免疫反応の異常。まるで、北海道という土地全体が、愛さんを拒否しているかのようでした。結局、愛さんは、痛くて不安で思い通りにならない3年間を北海道で過ごした後、ご主人と相談して、いったん1人で大阪に戻ることになりました。
大阪に戻ると、病気はだんだん良くなり、やがて、ほとんど元通りの健康を取り戻しました。しかし、体は楽になっても、心は苦しみに沈む毎日でした。愛する人と良い家庭を築くどころか、そばにいることもできない自分なのです。幸い、ご主人もそのご両親も、愛さんを責めることなく、優しく見守ってくれています。
しかし、愛さん自身としては、どうしようもなくつらく、情けないのです。
「いったい私は、何のために生きているのか」
その思いが来る日も来る日も胸の中を駆け巡り、耐えきれなくなりました。そして、愛さんは、いつもお参りしている教会の先生に、その苦しみを打ち明けたのです。
教会の先生は、愛さんを慰め、それから、こう言いました。「みんな、役目を授かっている。立ち行くように、お願いさせてもらいましょう」。
それは、何度も聞いてきた言葉でした。しかし、この時の言葉は、神様が愛さんのために先生の口を借りて改めて授けてくれた言葉であると、なぜか信じることができたのです。
愛さんは、考えました。「私の役目って、何だろう。私の役目って、何だろう」。愛さんは、今の自分にできることを、求めていくようになりました。そして、まずは、社会復帰を目指し、大阪で仕事を再開したのです。
次に、ご主人に、思いを打ち明けました。「やっぱり、私たちの子どもが欲しい。駄目なら、私たちの子でなくても、育てるお役を授かりたい。その子に、いい生き方を、生きることの素晴らしさを、伝えていきたい」。それは、すでに40歳となっていた愛さんの、精一杯の願いでした。
ご主人は、優しくうなずくと、「もしも子どもを授からなかったら、恵まれない子どもたちを支援する活動をするのもいいね」と言ってくれました。
2人は、願いを新たにして、平成14年の元旦に、金光教本部に参拝しました。2人に男の子が授かったのは、その年の秋のことでした。
今、愛さんは、息子さんと一緒に、大阪に住んでいます。愛さんが北海道に行けるのは年に1度ぐらいですが、ご主人は年に何度も大阪に来てくれます。今すぐには一緒に生活できないのは寂しいですし、申し訳ないことですが、健康に育ってくれている息子を見ると、こんな夫婦のあり方、こんな幸せのあり方も、あっていいのでは、と思えます。
最近、愛さんの叔父さんが、大阪で入院しました。その叔父さんは、元々目が不自由な人なのですが、今度は転倒して頭を打ち、脊椎も痛めてしまいました。再び自力で歩くことは難しいでしょう。お年を召してこんなことになり、まことに気の毒な状態です。
愛さんの息子さんは、わずかな面会時間で、少しでも喜んでもらおうと、歌を歌って録音しては、それを病院に届けたりしています。そんな息子さんの姿を見て、あるいは、だれに言われるでもなく、神棚に手を合わせて叔父さんの回復を祈る息子さんを見て、この子には、信心を通じて、人として大切なことを伝えることができているのかな、と喜びがあふれてきます。
自分の生きる道をふさがれてしまったら、人はどうするでしょうか。愛さんは、まさに、生きようとした道を閉ざされてしまったのでした。しかし、その時、今の自分にできることは何かという方向に向きを変え「こんな自分が世のお役に立てる道を見付けたい」と願うところから、道が開けていったのでした。
それにしても、愛さんは、良いご主人と、良いご家族に恵まれたな、と思わずにはいられません。そこにも、神様のお恵みが現れているように思えてならないのです。