親の心


●信者さんのおはなし
「親の心」

金光教放送センター


 文楽ぶんらくの演目の一つ、『伽蘿先代萩めいぼくせんだいはぎ』の見せ場。

 「三千世界に子を持った親の心は皆一つ…」

 女義太夫の語りに合わせ、谷京子たにきょうこさんが操る人形は、まるで生身の人間のようです。
 乙女文楽の人形遣い、谷京子さんは、昭和12年生まれの73歳。大阪で生まれました。生まれて間もなく実の母親と生き別れ、7つで父親と死に別れた谷さん。血のつながりのない、いわゆるさぬ仲の継母親ははおやに育てられた生い立ち故に、“親の心”を知りたい、“親の心”に包まれたいという思いが、いつも心の底にあったからでしょうか、「私は、『先代萩』のこのくだりが一番好きなんです」と話します。
 幼い谷さんが、“親の心”に初めて触れたのは、生さぬ仲のお継母さんの一途さでした。お継母さんは、朝早くから谷さんの手を引いて金光教の教会へお参りし、血のつながらない娘との間柄や、健やかな成長を祈ってくれました。
 そして、折に触れ、「天は父、地は母。天地のおかげで、人間は生かされて生きている。天地の恩を知らねばならないよ」と、いつも心に掛けていた金光教の教えを、優しく聞かせてもくれました。また、生活のために始めたお茶屋の商売で帰宅が遅いので、一人寂しく眠りにつく娘のために“おめざ”のお菓子を用意して、眠っている娘の枕元に、そっと置いてくれるのでした。
 昭和24年、12歳の谷さんは、人形遣いの道へ足を踏み入れることになります。それは、終戦後、お茶屋の商売がだめになり、住む家まで失ったことがきっかけでした。行き場のない親子は、乙女文楽の一座に加わることになったのです。
 乙女文楽では、その名の通り、少女が文楽の人形を操ります。普通は3人で遣うところを1人で遣うため、両腕に装具をつけて人形を支え、遣い手の両耳と人形の頭をひもで結んで、人形の頭を動かします。少女と人形が一つになって演じる華やかさが、乙女文楽の売り物でした。
 谷さんは、巡業の旅の先々で、金光教の教会を探してはお参りしてくれるお継母さんの祈りに支えられ、芸に磨きをかけていきました。けれども、時には、実の母親のことが頭に浮かんできます。その度に谷さんは「お継母さんが生きている限り、実の親に会いたいとは思うまい」と、決意を固めるのでした。
 昭和31年、一座の解散をきっかけに、19歳の谷さんは、縁あって大阪から熱海に移り住みました。当初は「ここでやっていけるのだろうか」と思い悩みましたが、熱海南あたみみなみ教会の先生に胸の内を聞いてもらい、心を定めると、お継母さんも呼び寄せました。
 義太夫語りの女性名人とコンビを組み、2人で乙女文楽を演じて、全国各地を飛び回る生活が始まりました。
 そして、24歳でホテルマンの夫とも結婚。2人の女の子に恵まれて、仕事も家庭も、順風満帆でした。
 昭和45年、谷さんは、33歳で“親の心”に深く打たれる体験をすることになります。3人目の子どもをお腹に授かったものの、妊娠中毒症のため、6カ月もの入院生活を送った時のことでした。同じ病の入院仲間が亡くなるのを目の当たりにし、死の恐怖にさいなまれる日々。赤ちゃんは早産で亡くなり、腎臓の機能も悪化して、時間だけが流れていました。
 そんな谷さんを元気付けようと、お継母さんは、70代半ばの高齢にもかかわらず、毎日のように、3歳の次女をおんぶし、7歳の長女の手を引いて、教会へお参りした足で病院へ来てくれました。「生さぬ仲の継母さんが、こんなにまでしてくれる。ずっと今日まで、こんなに温かい“親の心”に包まれていたのだ」と、谷さんは、心打たれるのでした。
 うれしい面会もつかの間、手を引かれた長女が、病院の長い廊下をとぼとぼと、振り返り振り返り、帰って行きます。「付いて帰ってやりたい」「生きてやらなくては」と、何度思ったことでしょう。そんな自分の思いの中に、母親としての“親の心”を確かに見た谷さんでもありました。
 温泉の街もまだ寝静まっている、ある朝の午前4時。谷さんは、病院の屋上に上がり、全身を包む朝のすがすがしい空気の中で、教会の方に向かって手を合わせました。すると、谷さんの心も澄んできて「生き死には、神様にお任せしよう」という気持ちになれたのです。けれども、「天は父、地は母。天地のおかげで、人間は生かされて生きている。天地の恩を知らねばならないよ」というお継母さんの言葉を思えば「今日まで生かして下さった神様へのご恩返しが、何一つできていない」という強い思いもまた、心の奥底から湧き出てきました。
 それから早くも40年。谷さんは、かかわりのある人たちのことを、神様に祈りながら、ご恩返しの心で人形遣いの仕事を続けています。大変なこともありましたが、お継母さんをみとり、2人の娘も結婚し、孫たちが自分の道を見つけて進んでいくのを、夫と共に楽しみにする毎日です。
「私は、継母と人形と神様に、ずっと生かされてきました。私ほど幸せな者はありません」と、きっぱり言い切る谷さん。お継母さんと歩んだ道のりを振り返る時、「生かされて生きている人間同士、他人はない」と、心から思うのです。今日も谷さんは、年を重ねた深みのある芸で、観る人の心を揺さぶっています。

タイトルとURLをコピーしました