●信者さんのおはなし
「その一言で」
金光教放送センター
「あの時病気になっていなかったら、私は今でも何も気づかず、不足だらけの毎日を送っているに違いありません」
福島県にお住まいの本田トシ子さんは今68歳。その苦しかった時のことを振り返りながら、今、笑顔で語ってくれました。
それは8年前のことです。近くのアパートで一人暮らしをしていた35歳の一人息子が結婚することになりました。そしてそれを機に、息子夫婦との同居が始まりました。ですが、同居することには、実は少し不安がありました。というのも、定年退職した夫との2人暮らしが長い私たちと、18年も離れて生活をしていた息子とがうまくやっていけるかどうか心配だったからです。
同居を始めてすぐに、その心配は現実になってしまいました。住まいを増築することにしていたのですが、完成までは狭い家でお互いに譲り合って生活をしていかねばなりません。例えば、トイレの使用一つとっても気を遣いました。「勤め人の息子が最優先」と思っていましたので、主人にも「息子が起きる前にトイレに行っておいて下さい」と毎朝せかしたり、お風呂にしても、息子が仕事から帰る前には、済ませるようにしました。
食事の準備は「慣れない嫁がするよりは」と、私が受け持ったのですが、一生懸命作っても息子から注文が付くのです。親子であっても、私はだんだんと面白くなくなってきました。増築についても、私たちと息子の意見は食い違うばかりです。
主人も、そんな毎日が続いていくうちに「なぜ自分のうちで遠慮しなくてはいかんのだ」と言い出しました。それでも息子には直接何も言わず、全部私に向かって言うのです。主人は日に日に元気をなくし、そんな姿を見ていると、私もつらくなりました。
そのうち、息子と顔を合わすと、すぐに言い争うようになってしまいました。それは家の増築が完成してからも続き、私は食欲もなくなり、食事もろくにのどを通らないような日が続きました。
「同居したのは間違いだったのだ」という後悔が日に日に強くなり「もう家にいたくない、出ていきたい」、そこまで追い詰められていました。
そんなもんもんとする日が続いていたある日、私の左ひざが急に痛くなったのです。その痛みがあまりにも激しいので近くの病院で診てもらうと、“特発性関節壊死”という、骨がつぶれてしまう病気で、お医者さんからは「3カ月は松葉づえを使って下さい。悪い方の足を使うと、再生しようとしている骨が砕けてしまいますからね。もし、3カ月で痛みが治まらないようであれば人工骨になります」。そう言われたのです。
まさか歩けなくなることなど考えてもいませんでしたから「人工骨」という言葉を聞かされた時にはものすごいショックで、頭が真っ白になってしまいました。
意気消沈しながら、いつもお参りしている教会に参拝し、先生にお話しすると「どうしてこんな病気になってしまったのか、ということにとらわれてはいけませんよ。悔やむのではなく、今まで元気に過ごせてきたことを神様にお礼することが大切です。後は、しっかり治療を受けさせてもらいましょう」と話して下さいました。私はこんな病気になるまでは、歩けることは当たり前で、歩けることへのお礼など考えたこともありませんでした。
うちに帰ると、家族が心配して待っていてくれました。そして息子の口から思いもかけない言葉を聞かされたのです。
「お母さん、栄養のあるものをいっぱい食べて、早く良くなってよ。うちのことは何も心配しなくていいから」。その一言で、ハッと目がさめた気持ちがしました。私は「顔も見たくない」とまで思っていたのに、息子は私のことを心配していてくれたのです。
次の日から、家族の協力の中でリハビリが始まりました。毎日の食事の準備は嫁が頑張ってくれました。息子も「今日はおいしいものを食べに行こう」と、松葉づえの私をたびたび外食に誘っては、家族の楽しい時間を作ってくれました。困った時には、家族がこうして手を差し伸べてくれているのに、私は一体、自分一人で何を頑張っていたのだろうか、という思いが日に日に強くなっていきました。
思い起こせば、私が教会にお参りするようになったきっかけは、息子の就職の時でした。それからずっと、信心をしているつもりでいました。でも、よくよく考えてみると「信心をしている」と言っても、それはただ、自分の身勝手な思いを神様に訴えていただけだったような気がしてきたのです。
そして、信心をする上で最も大切な“人の助かりを願う”ことができていなかったばかりか、思いやりの心のかけらも持たないで、ただ息子を責めるだけの心になっていた自分に気付き、そのことを一生懸命神様におわびしました。そのおわびの生活を続けているうちに、この「特発性関節壊死」という病気になったのも、私の身勝手さが原因だったのかもしれないと思うようになりました。
治療を始めて50日、痛みも和らぎ、それからは驚くほど回復し、元気になることができました。私はこの病気をしたことで、息子から思いやりの言葉をかけてもらいましたが、今思うと、あれはきっと、神様が息子の口を通してかけて下さった言葉のように思うのです。そのひと言で私は救われ、何事にも感謝の心が大切であることを分からせていただいたのです。