はじめまして、ひいおじいさん


●こころの散歩道
「はじめまして、ひいおじいさん」

金光教放送センター


 「えーっ!! 何だって? 頭蓋骨ずがいこつ? 大腿骨だいたいこつも?」  
 「いったい何だい。えらく物騒な話が聞こえてきたけど…」
 携帯電話でのやりとりに、周囲は色めきたった。出張中のことだった。我が家のお墓の改修工事の途中で、地中深くからひいおじいさんのお骨が発見されたと妻が知らせてきたのだ。
 どうやら家ではてんやわんやらしい。何しろひいおじいさんが亡くなったのは97年も昔のことなので、誰も地中の石室の存在を知らなかった。もちろん、僕も驚きを隠せない。
 「皆さん、ごめんなさいね。気味が悪いでしょう」
 僕は周りを気遣って、説明した。
 「いやいや、そんなことはないですよ。お墓を直すなんて、あなたは、尊いことをしているんだね。それにしても、都会の真ん中で土葬なんてね。よほど格式が高いお家なんだねえ」と上司が言ってくれた。
 「とんでもない。ただの農家の小せがれですよ」

 今から120年前のこと、19歳のひいおじいさんは、当時不治の病と言われた胸の病気にかかり、絶望のただ中にいた。兄も弟もすでに亡くなっていた。そんな中で信仰に出合い、生きる望みを得た。そして、「もし健康になれたなら、この命を神様に捧げます」と誓ったのだそうだ。
 その後、幸いにも命の危機を脱したひいおじいさんは、その誓いどおりに、充分な体でないながらも神様にお仕えし、自分と同じように苦しんでいる人たちの悩みや苦しみを聞いては神様に祈り、導いていった。その生き方に共感して、何人かの弟子も出来た。しかし、36歳の若さで亡くなってしまったのだった。
 ひいおじいさんの死を惜しんだ人たちは、できる限り丁重に葬ろうとしたに違いない。もちろん火葬が丁重ではないということではないが、ひいおじいさんのことを忘れたくないという思いがそうさせたのではないだろうか。

 お骨がうちに帰ってくるなんて、滅多にあることじゃない。「あらまあ、恐竜博で見たのとおんなじ」と母が驚いて言った。「ちょっと、ちょっと、それはあなたのおじいさまのお骨ですよ。まったく」。
 でも、そう言えば、奇麗で完全に整っている。それに、何か、妙に明るいというか、健康的な感じがする。若かったからだろうか。ほんとうに病気で亡くなったのかと思うほど、大きな骨だ。それにしても…僕の頭にそっくりだ。いや、僕がそっくりというのが正しい。自分のご先祖様と対面し、不思議な気持ちになった。
 「ひいおじいさん。改めまして、ひ孫です」。僕は、お骨に語りかけた。
 「すみません、ご迷惑をおかけします。工事が終わるまで、しばしのお里帰りを楽しんで下さい。…なんですって?『私は御霊みたまになっているから、どこへでも行ける。それに、この家にはいつも帰ってきておる』ですって? それはそうですよね。でも、まあ、ゆっくりして下さい」
 実は、長年親しんできたお墓を作り直すのはとても勇気がいった。僕は最後の最後まで墓石に手の平を当てて名残を惜しんだ。ひいおじいさんと握手をしているのだと思って。ところが、こうして、じかにひいおじいさんに触れることが出来た。だから、人は不気味に思うだろうが、僕はうれしくて仕方がなかった。

 それから4年後の夏のこと、僕は体調が優れなかった。もともと呼吸器系が弱く、いつも春先からせきが続くのだが、その年は特にひどく、とうとう、厄介な病気を疑われ、静養を勧められた。そして、大きな病院で検査を受けた。もし、重い病気ならば、ひいおじいさんと同じだ。やっぱり遺伝かと悲しくなった。検査結果が出るまでの不安の中で、僕はひいおじいさんのことを考え続けた。
 ひいおじいさんは、病気になった時、どういう思いだったのだろう。結局は若くして死んでしまったのだから、さぞや無念だったのだろうな。でも、あの時、お骨は、おやっと思うほど悲壮感がなく、とても健やかな感じがした。根拠は全くないけれどそう感じたのは、いったいどうしてだろう。
 そうだ! 喜びだ。一度死を覚悟したひいおじいさんは、人を助ける役に立てることを喜び勇んで生きていたのだ。堂々と、朗らかに、人を導いていったその姿は、喜びに満ちていたに違いない。
 「甲斐かいある人生を生きる」というが、どう生きれば良いのか、誰もよく知らない。長く生きても、健康であっても、何不自由なくても分からないことの方が多い。ひいおじいさんは、短い人生だったけれど、甲斐ある人生を生きたのだ。そして、死んでも悔いがなかったのだ。
 それに比べて、僕は、人のためにまだ何も役に立てていない。甲斐ある人生を生きてはいない。「そのように生きたい」と僕は願った。すると、何だかとても元気が湧いてきた。
 再検査の結果、幸いにも異常はなかった。

 何となく懐かしくて、心がホッとして落ち着く場所、お墓。「ここに私はいません」という歌のように、どこにいても御霊はそばにいてくれる。けれど、ここには、大切な人が確かに生きた証がある。
 「よく来たな」
 大地に抱かれるように土に帰って行ったひいおじいさんが迎えてくれる。つらいことも悲しいことも土に水が染み込むように受け止めてくれる。そして、「お前もしっかり生きよ」という声が聞こえてくるように思うのだ。

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