●信者さんのおはなし
「すてきな101歳」
金光教放送センター
きれいに整えられた髪、穏やかな笑顔の笹岡良美さんは、高知市にお住まいの元美容師。明治43年3月16日生まれ、現在101歳です。身近な人は皆、「笹岡さんのように年を重ねていきたい」とおっしゃいます。笹岡さんはどんな人生を歩んで来られたのでしょうか。
笹岡さんは、高知県の山間にある農家に生まれました。小学校もろくに通えず、厳しい生活でしたので、職業を持ち自立したいと思っていました。22歳の時、夢を叶えるため、意を決して家を飛び出しました。
知り合いに、高知市内のある美容室を紹介されました。美容師はやってみたい職業でした。しかし、そこは遊郭が近くにあり、お客様は皆、日本髪ばかりです。だんだん廃れてきた日本髪をやることに迷いもありましたが、他に行く当てもありません。気持ちが定まり、美容師としての修行が始まりました。
しかし修行と言っても現在とは違い、住み込みで雑用の合間に、師匠の手元を見つめ、夜、皆が寝てから真似てみるというものでした。笹岡さんはそこで5年間辛抱し、難しいお客様の要望にも応えられるまでに日本髪を習得しました。
その後、別の美容室に勤めることになりました。その美容室は、今までとは全く違い、何もかもが洗練されていました。お客様の身なりもさることながら、言葉遣い、会話が知性に富み、まぶしい感じがしました。「ここで働ける。うれしい。先生の役に立ちたい。お客様に喜んでいただきたい」。そんな思いが笹岡さんの中に自然と湧いてきました。
その美容室の常連のお客様に、老舗旅館のおかみさんがいました。その方は熱心な金光教の信者でした。おかみさんは笹岡さんの仕事に対する態度を気に入って下さり、何かにつけて笹岡さんを気遣ってくれました。笹岡さんにとってもおかみさんは、美容師になって初めて気持ちを許せる人でした。そのおかみさんから、教会にお参りするよう誘われました。教会に参拝して御神前に座った時、22歳で家を飛び出してから、はじめてホッと帰る場所をみつけたような温かい気持ちになりました。教会の先生も満面の笑顔で迎えて、これまでのことを聞いて下さり、辛かったことが皆溶けていく気がしました。
数年後、美容室の先生が引退し、笹岡さんが後を引き継ぐことになりました。いよいよ独り立ちです。毎日神様に仕事に関わることを願い、勤めに出る。そうすると、神様に守られている安心感があるのでした。ありがたいことに、代が変わってもお客様が、変わらず店に来てくれたのでした。
美容室では花嫁さんもたくさん作りました。それは、日本髪、お化粧、着付けと大変な技術のいることで、特に日本髪は苦労するところですが、笹岡さんは、前の店で5年間みっちり日本髪をやっていましたので、その技術が生かされました。前の店で辛抱したことが、神様のお導きを頂き、花開いたと笹岡さんは思いました。
美容界では次々新しい技術が入ってきます。そこからがまた勉強の日々でした。毎年1度東京へ行き、新しい技術を学び、高知のお客様に提供していきました。そこで時間を掛けて美容に取り組むことにより、お客様が喜び、店が繁盛し、師匠にご恩返しが出来る、そのことが何よりの自分の喜びであり幸せでした。笹岡さんの美容室は、新しい技術と日本古来の日本髪、その両方の技術を持つ店へと発展していったのでした。
だんだん店の評判が立ち、いつしか笹岡さんはたくさんのお弟子さんを預かるようになりました。お弟子さんを預かるということは、技術を教え込むことだけではありません。行儀作法、言葉遣い、お客様に気持ちよくお帰りいただけるよう教えるのには、まず自分から示していかなければなりません。自分が勉強していくこと、指導者になってからもその姿勢は変わりませんでした。
また、人を預かるということは、その人の人生を預かるということでもあります。お弟子さんたちが美容師の試験に合格すること、独立のこと、またその家族のこと、願いが膨らんでいきます。
毎日の教会参拝では、自分のこととして、お弟子さん一人ひとりのことを祈り続けました。お弟子さんたちも笹岡さんの期待にこたえ、巣立って行きました。その功績が認められ、笹岡さんはいつしか高知の美容協会の会長も務めるようになっていきました。
そこまでキャリアを積んだ美容師の仕事でしたが、70歳を機にスパッと店をお弟子さんに任せ、引退します。笹岡さんの日本髪の技術は高い評価を得ていたので惜しまれましたが、お弟子さんのことを思うと、いつまでも私がいては育たない、欲は放さなければと思い切りました。11月30日をもって店を終えました。12月は美容師にとって一番の書き入れ時です。そこから店を引き継げば経営しやすいのではという親心からでした。
引退後、笹岡さんは書道を始めます。「神に向かえば人想い、人に向かえば神想い」。笹岡さんがこれまでの人生で、大切にしてきたことであり、生き方そのものの言葉です。引退後もお弟子さんが毎年新年会を開き、誕生日を祝ってくれます。お弟子さん一人ひとりの中に、「私のことを誰よりも祈り、いつも心にかけてくれている」という思いがあるのだなと思いました。
101歳にしてお元気で、関わりのある人を祈り続ける笹岡さん。人生の節目で見せる潔さと、南国土佐の温かい海に似た懐の深さを持つ、すてきなすてきな大先輩の女性でした。