神様のレール


●信者さんのおはなし
「神様のレール」

金光教放送センター


 若林和子わかばやしわこさんは80歳。三重県亀山かめやま市にお住まいです。平和の「和」に子どもの「子」と書いて「かずこ」ではなく「わこ」さんと読みます。夫の春一はるいちさんとは同い年。昭和27年の結婚で、まもなくダイヤモンド婚式。和子さんと、腕のいい大工さんだった夫の春一さん二人のなれそめには、ちょっとロマンチックなエピソードもあるのですが、それは、また、別のお話…。
 結婚してから10年後、春一さんは、建設会社を起しました。夫婦二人力を合わせて一生懸命働きました。ゼロから始めた会社でしたが、年を追うごとに仕事も増え、従業員も30名を数えるまでになりました。
 順風満帆。ところが、もっと事業を広げようと大きな工事を引き受けたのがあだとなり、資金繰りが悪くなります。その心労もあったのでしょう、追い打ちを掛けるように、春一さんが体調を崩し、ついに入院してしまいます。
 和子さんが金光教と出合ったのはこの時のことでした。同じ病室の、やはり付き添いに来ていて親しくなったご婦人から手渡された1冊の金光教の本。それが、和子さんを金光教の教会へ導くことになります。
 「とにかくありがたいお話で。神さまがレールを敷いて下さったような気がして、何としてでも教会にお参りしたいと思いました」。和子さんは本を手にした時のことをこんな風に振り返ります。
 翌朝、初めて金光教亀山教会にお参りした和子さんは、教会の先生に、春一さんの病気のこと、会社のこと、そしてこれまでの事情、心配事などなど、思いの丈を話しました。先生は、じっくり耳を傾け、神様にお願いして下さいました。
 教会にお参りしては、神様にお願いし、先生に相談し…ということが、和子さんの毎朝の日課になりました。
 そんな中で、和子さんは、だんだんと自分の気持ちが変わっていったと言います。周りの人たちや出来事がありがたく思えるようになっていったのです。夫である春一さんのこと、会社の従業員のこと、取引先のこと、これまで携わってきたたくさんの仕事のこと、そして何でもないように思っていたいろんな出来事…。
 春一さんの病気は手術も成功し、無事退院となりました。しかし会社のほうは、もうどうにもならなくなっていました。負債は6億円。一緒に頑張ってきた従業員のこと、お世話になった取引先のことを考えると、身も引き裂かれる思いでした。矢のような催促は激しくなるばかり。「資金繰りをしに行く」とだけ言い残し、夜逃げ同然に春一さんと和子さんは亀山を後にしました。
 向かった先は海のきれいな所でした。気晴らしにでもと思い、二人でやってきた海岸は、季節になれば潮干狩りや海水浴の観光客でにぎわう所でした。しかしその風景は、和子さんの目には何もないさみしい所に写りました。
 その時、「いっそのこと死んでしまおうか」と春一さんが…。
 どこまで本気だったのかは分かりません。しかし、この言葉に、和子さんはハッとしました。「生かされている命を粗末にしてはいけない」。思わず口をついて出たのは、春一さんを励ます言葉でしたが、和子さん自身にとっても思い掛けないほど心に響いたのでした。神様に、生かされている命なのだと。
 結局、弁護士さんが間に入ってくれて、債権者会議がもたれることになりました。迷惑をかけたことをただただ謝るばかりの二人に、取引先の人たちは皆、「心配していたよ」「出来る限り応援するからね」と口々に温かい言葉を掛けてくれました。
 「教会の先生も心配しておられたよ」。知人がそう教えてくれました。実は、教会の先生にも黙って姿を消してしまっていたのです。「先生は、突然、姿を見せなくなった私のことを案じて下さっていたんだ。私がお参りしなくても、ずっと神様にお願いし続けて下さっていたのだ」と和子さんは気付きました。
 春一さんの病気、会社の倒産という大変なつらい出来事でしたが、周りの人たちが気に掛けてくれ、教会の先生からも願われている。それは、和子さんに助かってほしいと願っておられる神さまのレールの上を歩む道のりだったのかもしれません。
 その後、以前取引のあった大手のハウスメーカーから、春一さんの腕を見込んで、新築住宅の内装の仕事が舞い込んできました。遠方の地域を一手に任され、夫婦泊まり込みで働くこともありました。2人だけの、しかも50歳をすぎての再出発です。しかし和子さんには、建築会社の社長さんとしてよりも、腕のいい大工さんとしての春一さんのほうがずっと好もしく思えたのでした。
 今、和子さんたちは、借金の整理もつき、子どもたちも独立し、市街地を見渡す高台に居を構え、夫婦二人穏やかな生活を送っています。
 そんな和子さんには日課があります。一日の出来事を振り返って、帳面に書き留めているのです。ありがたかったと思うことや、家族やお世話になっている人たちの事などなど。そして自宅の神棚の前で拝礼して、一日を終える…。教会の先生がお願い事の帳面をつづって神様にお願いしているのを知って、「私も」と思ったのがきっかけで、もう何十年も続けています。
 「今は、もう、何もかもありがたいことばかりです」和子さんはこんなふうに話します。自分のことだけでなく、みんなのことを願っていく。このことがまた、神様のレールを、先へ先へと繋げていくことになるのでしょう。

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