人を育てる教師に


●信者さんのおはなし
「人を育てる教師に」

金光教放送センター



 熊本くまもと市の小学校で校長をしている永溝晋介ながみぞしんすけさんは現在55歳、教員生活は34年になります。
 永溝さんは3歳の時、大きな病気が原因で右足が不自由となりました。彼のお母さんは親の薦めもあって金光教木山きやま教会へ参拝しました。その時、教会の先生から、「この子は病気はあるけれど、必ずお役に立つ人になるからなあ。だからこそしっかり勉強させなさいよ」と言われたのです。それからは”お役に立つ人になる”という願いをもって親子で教会参拝を続けました。
 その後は順調に成長し、ハンディキャップがあるもののいじめに遭うこともありませんでした。それどころか周りの人や友達から支えられ、無事に大学まで進学出来たのです。今思うと両親はもとより、教会の先生が神様に願い続けて下さったおかげだと永溝さんは振り返ります。
 大学卒業後、永溝さんは中学校の教師になりました。それまで自分のことをずっと神様に願って下さっていた教会の先生の所へ行き、うれしい報告をすると、先生はとても喜び、次のような話をして下さいました。
 「教育という字は教え育てると書きますね。教師になったのなら、教えることは出来るでしょう。あなたは人を育てる教師になりなさい。人を育てるということは大変難しいことですが、とても大切なことです」
 この”人を育てる教師に”という言葉は、それからの永溝さんにとって大切な意味をもつことになるのです。
 永溝さんの最初の赴任先は、熊本県水俣市みなまたし近郊の中学校でした。そこで彼は、自分のクラスの子や、その家族が公害病による差別や偏見を受けている姿を目の当たりにして、自分の無力さを思い知らされるのです。その時、”人を育てる教師”という言葉を思い出し、厳しい状況の中で、まずは話を聞かせてもらうことから始めていきました。話を聞いて共感するのが精いっぱいでしたが、そこから少しずつクラスの中で生徒たちが公害病を正しく理解し、偏見に負けない力を持ってくれるようになっていきました。
 数年後、熊本市内への転勤が決まった時、ある生徒から、「先生はここを離れたら公害病のことを忘れるかもしれないね」と言われました。その時、永溝さんは、その子の目をしっかり見詰め、「先生はね、決して水俣のことは忘れないから。どこに行っても、弱い人や苦しんでいる人たちの立場になって頑張るからね」と堅く約束をしたのでした。
 熊本市内に転勤して2校目の中学校に赴任した時のことです。その学校はとても荒れていて、校舎の壁際に沿って歩けないほどでした。なぜなら、上の窓から机や椅子、牛乳瓶がいつ落ちてくるか分からないのです。授業中も勝手にうろうろしている生徒がたくさんいて、廊下や階段でおしゃべりしています。永溝さんは、そういう子どもたちを放ってはおけません。クラスも学年も知らない生徒たちの中に積極的に入っていくのです。最初はぎくしゃくした雰囲気でしたが、永溝さんの腹を割って関わる態度が子どもたちに通じたのか、次第に永溝さんにだけは話をしてくれる生徒も出てきたのです。
 その数年後のことです。熊本市の繁華街で深夜、若者たちに取り囲まれました。当時、世間を騒がせていた”オヤジ狩り”かと恐怖を感じましたが、その中の一人が、「先生、俺のこと知ってるか」と聞いてきたのです。彼はあの荒れた中学校の卒業生でした。
 直接教えたりはしていなかったけれど、廊下で話を聞いていた子どもだったのです。その子の名前を呼ぶと、とても喜びました。この子たちは表面上は突っ張っているけれど、本当は人との関わりを求めているんだと胸が痛みました。
 その後、永溝さんは生徒たちとの深い関わりを大切にしながら教員生活を続けていきました。子どもたちと関わる時、その子の持っている良い面を引き出したり、気付かせてあげることが大事で、すべての子どもに可能性があるという信念を持つようになりました。生徒が生き生きと輝く姿に出会う時、生徒のことで苦労したことは吹き飛んでしまいます。どうにもならない大変な時が何度もありましたが、そういう時こそ教会に参拝し、神様にお願いしながら取り組んでいきました。
 永溝さんは中学校の教員を30数年勤めた後、現在では熊本市内の小学校で校長をしています。最近、永溝さんは人を育てるより何より、自分が一番育てられてきたと思っています。「何より待つことが出来るようになりました」と話します。
 永溝さんは、もともとせっかちで気が短いところがありました。例えば、毎朝校門に立って、生徒たちへ声を掛ける時の様子を見ると分かります。以前だったら時間ぎりぎりに来てる子には、「こらっ、走れ~!急げ~!」と声を掛けていました。今は、「もうあと5分早く家を出ようね、そうするとゆっくり間に合うからね」といった具合です。
 人が育つには時間が掛かります。永溝さんは子どもたちに目線を合わせ、急がず、じっくりと構えて生徒たちを見守れるように変わったのでした。子どもを育てるには、こちらが心を落ち着かせて子どもの心に寄り添っていくことが大切なのです。
 「人を育てる教師に」と教会の先生からお言葉を頂いて30数年、常にそうありたいと願い続けてきました。「おかげで少しはお役に立てていると思います。これからも残り少ない学校の現場で”人を育てる教師”でありたいと願っています」。最後にそう話す永溝さんからは、子どもたちを心から慈しむ温かさが感じられました。

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