●先生のおはなし
「風船かずら」
金光教志筑教会
地田治美 先生
暖かく心地いい春の日差しが降り注ぐある日のこと。買い物から帰って来ると、隣の奥さんが庭で苗の植え替えをしていました。
「こんにちはー。それは何?」
「フウセンカズラよ…」
風船かずらと聞いて、赤茶色に熟した実が思い浮かびました。夏になると白い小さな花が咲き、緑色から赤茶色に色づく紙風船のような実がなります。風に飛ばされてしまいそうなはかなげにぶら下がる実を見ると、何となく涼し気で癒される感じさえします。
やがて訪れる夏の暑さを想像しながら、その暑さの中で癒される感覚を思い起こしていると、奥さんは作業している手を止め、私の方に顔を向けて、「もともと、最初はあなたのお母さんから苗をもらったんよ。もう20年くらい前かなあ」と、ほほ笑みながら言葉を続けました。
「えーっ! そうなん!?」。驚きと感動が入り混じって、思わず声が裏返りそうでした。
長い間大切に育ててくれていたんだ…、という嬉しい気持ちとありがたい思いがわき上がり、母の笑顔がよみがえりました。
母が亡くなって13年が経ちます。花を育てるのが好きで、ベゴニア、アッツザクラ、ミヤコワスレ、テッセンなど色々な花を鉢植えで育て、楽しんでいました。隣の奥さんに分けてあげたように、友人たちに苗をあげたり、咲いた花を鉢ごとあげたりするのも楽しみのようでした。
そんな母が脳出血を起こして倒れたのは、平成10年1月17日の早朝でした。救急車で病院に運ばれ、検査や処置を受けましたが、意識不明のまま2週間が過ぎ、1月30日に息を引き取りました。
2週間の間は、返ってくる言葉や表情を想像しながら、ベッドの上で目をつむったままの母に、話しかけたり問いかけたりしていました。27日の62歳の誕生日には、こっそり小さな声でハッピーバースデーの歌を歌ってお祝いしたことも思い出します。
突然の出来事に母を知る人たちも驚き、死を惜しんで下さる方がたくさんいました。葬儀からしばらくたって、母を偲ぶかのように思い出話をして下さる方もいました。
母がよく利用していたショッピングセンターのスタッフの方は「いつもニコニコ、ハツラツとして、『こんにちはー』って言う、おかあさんの元気な声とあの笑顔に、どれだけ元気をもらったか分からない」と、涙ぐみながら話してくれました。
印象的だったのは錦糸卵の話でした。子ども会の行事でちらし寿司を作ることが決まり、手分けをして下ごしらえをして集まることになりました。でも、錦糸卵作りを担当する人が、なかなか決まらなかったそうです。手間がかかるからやりたくない…という空気が流れていて、それを察してなのか「私してくるわ」と、母が自ら引き受けたそうです。だれもが思わずホッとした表情になり、空気も和んだらしいのです。
さらに当日、細く均等に刻まれた見事な出来栄えの錦糸卵に「ワーきれい~」とため息交じりの声が上がり、皆感心したんだという話でした。「このことに限らず、本当にお母さんは感心な人だった」と、話をしてくれた奥さんの言葉と、感慨深そうに話していた様子も心に残っています。
何事にも心を込めて取り組む母の姿が思い出されました。私が幼い頃から「金光教の信心は難しいことないんやで。何でもありがたく思うていったらええんよ」と、言い聞かせては、ありがたい思いを現すかのように、物事を大切にし丁寧に心を込めて取り組む姿を見せてくれていました。こちらが急いでいる時は、イライラしてくることもあるくらい丁寧で、手を抜くということがありませんでした。
「何でもありがたく思うていったらええんよ」。聞き慣れたはずの言葉でしたが、この言葉を思い出しては、日常の生活の中で、どれだけありがたい思いを持って過ごせているかと振り返ったり、服をたたむ時、料理をする時、掃除機を使う時、何をする時も心を込めて出来ているかと、より意識を持って過ごすようになりました。
数年後、金光教の本を読んでいると、次のような言葉がありました。
“金光教の教祖は喜びの道を開いて下されたのだから、信心する者が、喜ばないつらい顔をして日を過ごしてはならない。天地の親神様を信心するのだから、天地のような広い心にならねばならない”。
この言葉に出合った時、生き生きと元気に街を駆け回っていた母の姿と重なり、きっと母の根ざしていた生き方だったんだと思えました。そんな母に習って、喜ばない、つらい顔にならないよう、ありがたい思いが現れるような、喜びあふれる笑顔で過ごしていこうと、心掛けるようにもなりました。
隣の庭の風船かずらが、どうか今年も花が咲き、実がなりますように…。
風船かずらの黒い種には、白いハート型の模様があることを教えてくれたのも母でした。小学生だった私は、手のひらに乗せられた小さな種を、目をクリクリさせながら見つめていました。ハート模様が不思議で、すっかり見とれてしまっている私の顔を見て、母はニッコリほほ笑んでいました。
母も大好きだった風船かずら。その風船かずらが大切に育てられ、命が続いているように広い心を持ち、ありがたいと思う心、喜びの心で生きた、母の心もつないでいきたいと思います。